今時の学校教育って、取り組む、没頭するからどんどん遠ざかってないだろうか? | 熱脳しゃちょのブログ

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おせっかい焼SE兼プログラマ兼……の辛い日々と、思う事なぞ

おいらは変人なので、小学校に上がる前には取り組むとか没頭する、って息をするのと同じくらい自然なことだったんだけど、普通の人は自然発生的にそれができないと思う。

まぁ、続かないよね?

飽きっぽいのがプラスに働く人もいるけど。

 

取り組むとか没頭するって、どうしてもしんどい場面に何度もぶち当たる。

そこを超えて続けることが、自分の意思だけでは不可能、ってこともよくある。

そう言う時に、誰かに強制されてでも「まず乗り越える」って経験を、何度か積んで学習しているかどうかって致命的なまでの差になってくると感じてる。

プログラマ、システムエンジニアの世界でも。

だから「文化部より運動部」って言われてきたのは十分理にかなっていたと思う。

文化部だって、って文句を言う人もいるかもしれないけど、「割合の問題」です。

 

強制されるのは、悪くないどころか、むしろ教育的だと思う。

それを無駄にするのは、不貞腐れた本人の責任だと。

同時に、厳しいとか変な校則ってのも残しておいて、順守してみればいい。

そう言う校則って、まず間違いなく生まれた原因がある。

調べてみればいい。

自分の学校の先輩、同じ校区の先輩のやらかしが発掘されるだろう。

その上で、その校則という制約にどう対応するか考える、ってので、「知恵の程度」が測られるってもんです。

「校則ガー!」と喚いているガキ、おいらから見たら壁と見れば殴りかかるエテ公と変わりません。

その壁をどう攻略するか考えられてはじめて、真っ当に成長することが可能な人間に進化した存在と言うことです。

 

なんていうか、「権力はんたーい」「校則はんたーい」って叫んでるだけの人って、視野も狭いし知能も低いな、と思う。