数日前、母の誕生日だった。
だからといって、特別何をする訳でもなく、ただ、ケーキを数切れ買ってきただけ。
誕生会的なものは、デイサービスを三箇所も行ってるから、それぞれの施設で、今月生まれの利用者という事で、写真を撮って頂いたり、手作りのものをプレゼントされたりと、生涯で最もお祝いされているここ数年なのではないかと思っている。

私は お母さんっ子で、4歳5歳の頃は、いつも母にへばり付いていて怪我や病気でも、母が側にいてくれたら、それだけで半分治った気になり安心するような子だった。だから、大きくなっても、ずっと母と一緒にいたいと思っていた。幼い感情だと思うが、これは私だけに限った事でもない様な気がする。

小学生の時分は、出来るだけ母が長生きして、少しでも長く母と過ごせたらいいなと願っていた。
というのも、母の母、つまり私の祖母が五十前にして脳溢血で亡くなった為、何故か自分も同じ歳くらいに死ぬのではないかと思い込んでいたふしがあった。そこで、「お母さんがいなくなっても ちゃんと生きていかれるように」と、我々姉弟を育ててきた。母が37歳の時に私は生まれたので、中学生になったら、母は もうこの世にいないという事になる。
大学生くらいの人が、まだ母親が健在だと、羨ましく思えた。
何しろ、中学生になったら自分には母はいないのだから。
いくら祖母が短命だったからといって、母も短命だとは限らない。そうは思ってはいたが、事あるごとに、お母さんは、長いことオマエの面倒をみてやる事はできないだろうから、しっかりしなさい。と、言い聞かされ、躾けられ、刷り込まれると、何となく真実味帯びてくる。
だから、少しでも、母に長生きしてもらい、少しでも長く過ごしたいと心から願っていた。

その願いが叶い過ぎたのか、未だに母と1つ屋根下に一緒に住んでいる。
中学になったらもう母はいないと思い込んでいた小学生の取り越し苦労をどうしてくれよう。しかし、少しでも長生きして欲しい気持ちは、今も変わりがない。

母の誕生日は、また来年も再来年も穏やかに訪れますようにと願っている。

私の願は、幼い頃から、変わってないのだなと呆れる。