マリリンモンロー BILLY WILDER(2)
ビリー・ワイルダーのマリリンに寄せる思いは愛憎入り混じるものだったようだ。1958年の『お熱いのがお好き』の制作はなかなか思うようには進まず、ワイルダーとMMはほとんど言葉を交わすことがなかった。1958年11月6日、ワイルダーのアパートメントでの打ち上げパーティに、マリリンは姿を見せなかった。招かれなかったのだ。
『お熱いのがお好き』の撮影で、ワイルダーは極度のストレスのあまり、背中の筋肉に激痛を生じ、椅子で眠らなければならないほどだった。
撮影が終わると、ワイルダーはマスコミにこう語った。
「これで、女房の顔を見ても、女なんだから手をあげてはいけないのだと思えるようになったよ」
マリリンへの言葉の攻撃がおおやけになると、アーサー・ミラーはこれに反撃した。
「マリリンは地の塩である」とワイルダーに電報を打った。ワイルダーもこれに応えて、「あなたの『地の塩』は助監督に対してひどい態度をとりました」と電報でやり返した。
だが、この電報合戦はワイルダーの次の言葉で決着がついた。
親愛なるアーサー殿
この論争を速やかに終結させるために、あなたの良妻マリリンは際立った個性の持ち主であること、そしてこの私はベルゼンの、なんの個性もない偏屈オヤジであることを認めます。
敬具
ビリー・ワイルダー
その後まもなく、1960年の『アパートの鍵貸します』のヒット記念パーティで顔を合わせたワイルダーとマリリンはまた一緒に仕事をしようと和解した。
その候補として、『あなただけ今晩は』があったが、マリリンの死によって、主演はシャーリー・マックレーンとなった。
ビリー・ワイルダーは映画史上、もっとも多くの作品を手がけた監督であった。
1906年6月22日、サミュエル・ワイルダーとしてウィーンに生まれる。
代表作は『深夜の告白』(1944)、『失われた週末』(1945年のアカデミー監督賞、脚本賞受賞)、『サンセット大通り』(1950年のアカデミー賞脚本賞受賞)、『第十七捕虜収容所』(1953)、『麗しのサブリナ』(1954)、『七
年目の浮気』(1955)、『情婦』(1958)、『お熱いのがお好き』(1959)、『アパートの鍵貸します』(1960年のアカデミー賞最優秀映画賞、監督賞、脚本賞受賞)、『ワン・ツー・スリー』(1961)など。
『お熱いのがお好き』の撮影で、ワイルダーは極度のストレスのあまり、背中の筋肉に激痛を生じ、椅子で眠らなければならないほどだった。
撮影が終わると、ワイルダーはマスコミにこう語った。
「これで、女房の顔を見ても、女なんだから手をあげてはいけないのだと思えるようになったよ」
マリリンへの言葉の攻撃がおおやけになると、アーサー・ミラーはこれに反撃した。
「マリリンは地の塩である」とワイルダーに電報を打った。ワイルダーもこれに応えて、「あなたの『地の塩』は助監督に対してひどい態度をとりました」と電報でやり返した。
だが、この電報合戦はワイルダーの次の言葉で決着がついた。
親愛なるアーサー殿
この論争を速やかに終結させるために、あなたの良妻マリリンは際立った個性の持ち主であること、そしてこの私はベルゼンの、なんの個性もない偏屈オヤジであることを認めます。
敬具
ビリー・ワイルダー
その後まもなく、1960年の『アパートの鍵貸します』のヒット記念パーティで顔を合わせたワイルダーとマリリンはまた一緒に仕事をしようと和解した。
その候補として、『あなただけ今晩は』があったが、マリリンの死によって、主演はシャーリー・マックレーンとなった。
ビリー・ワイルダーは映画史上、もっとも多くの作品を手がけた監督であった。
1906年6月22日、サミュエル・ワイルダーとしてウィーンに生まれる。
代表作は『深夜の告白』(1944)、『失われた週末』(1945年のアカデミー監督賞、脚本賞受賞)、『サンセット大通り』(1950年のアカデミー賞脚本賞受賞)、『第十七捕虜収容所』(1953)、『麗しのサブリナ』(1954)、『七
年目の浮気』(1955)、『情婦』(1958)、『お熱いのがお好き』(1959)、『アパートの鍵貸します』(1960年のアカデミー賞最優秀映画賞、監督賞、脚本賞受賞)、『ワン・ツー・スリー』(1961)など。