男と女は相容れない生き物だ。

なのに、人生に不可欠な生き物とされている。


どちらか一方が虐げられて成り立つ関係は好ましくないと思うが、実際のところ、関係性の維持を目的にした人に残された手段は、我慢しかないのだ。


傷つき傷つけられ、人は成長する。

平成のJ-POPの歌詞のようだが、傷付いた後、必ず成長するとは限らない。

むしろ、最近の傾向として性格が歪んでいく人が多い印象を受ける。


友達が人を成長させるという標語も、進級していくにつれ、友達から悪影響を受け、かつて感じたいい部分が無くなっていた友達が少なくない。


恋人との関係も同様である。


恋に溺れる人生を否定するつもりはないが、一部の人たちの間と願いたいものだが、浮気や不倫が当然のような風潮がある。


これらの流れは受け入れなくてはいけない面もある。

昔から変われない人の一面をすぐに変えられるわけもない。


ただ、最近炎上するネタに、昔のような感覚で常識のないことを公で話し、批判を浴びることがある。


いい大人のやることに、自粛期間は求められても、反省なんて気持ちの面での変化はさせられようもない。


政治や商売など広い分野で、歪んだ部分に着目していかに正すかが仕事のできる人と言われることがある。


炎上とは、無防備な人の歪んだ部分に頼る商売とも思うが、こういった社会の歪んだ部分を許容するムードが広がるムーブメントも必要に思う。


歳をとるにつれ、自分の大事なものを失っていく。

個人で抵抗しきれないものや、周囲に同調する上で失うものも多いだろう。

失って現れたものが「その人の本性だ」と揶揄する人もいるのだが、それは未熟な指摘だと思う。


生存競争をするにあたって、選択と集中はつきものだ。

こうやって、ドライに、冷酷に考えなくてはいけない面もある。


世界というのはミクロな視点で歪みを直そうとしても、結果的に衰退していることも多いのだと思う。

山あり谷ありではないが、周囲のムードが悪いときでも笑い合って生きていきたい。


経済界で、岸田新総理には国家観がなく、日本経済の成長のイメージが湧かないと言っていた。

ミクロな視点でものを考える経済界だと多少見くびっていたが、国家観を語りあうのはいい傾向だと思った。

長年、日本経済が停滞してきた中で、若い人材から古い日本の体質改善しなければ変われないし、その上で国家観が大事になることは必至だ。