享保の買米

大坂町奉行所に大阪町人薬130名が召し出される
各個に目標とするコメの量が割り当てられ買い持ちするよう命令
発令前日から米価上昇開始
幕府が出口戦略を取ることを気にして、じり下げ

途中から、享保16年になると・・・

町単位での買米の目標高を設定
蔵出しした米は消費するか潰すかして一切の転売を禁止

蔵出しが必要だから保管用の米蔵が必要となるため、
米を消費せよとは命じることがなくなり、米切手の買いだけ命じるようになる

翌享保17年 虫害で飢饉発生 外生的要因で政策終了

飢饉後に米価下落し始める

米価の下限規制を設定
下限規制の出口を心配し買い持ちをしない者へ、下限規制の撤廃がないことをコミット
仲買人と米方両替に買い持ちを命じる
同時に帳合米商いを禁止すると通告(本当に禁止されたかは不明)

手狭を理由に下限規制を撤廃する要望を行う
手狭であれば大名も売りたい量を売れず資金繰りに悪影響が出ることを要望の中で指摘
手狭であれば手数料も減り困る

宝暦の買米

大阪商家206家から56万両を、大坂町奉行所が融資で調達
各町に月利0.1%で貸し付ける
各町は、米切手の買い持ちに2/3を拠出
残り1/3を大名や旗本へ拠出し、月利1.5%以内で融資

各町は月利1.5%以内で金利収入を得られ値下がりリスクを抑制できた
 

56万両を調達する際

商人たちは減額や延期を願い出るが、奉行所に閉じ込め、
罰を与える可能性をチラつかせ、午前二時まで説得を行った

①各町は他人の現銀を使って買い持ちができた
②貸付によって利ザヤを取れた
③幕府側の強硬的な態度

正米価格より帳合米価格の方が上昇

 

文化の買米

可能な限りでの買米を指示(江戸市中、米商いの商家が対象)
大阪317家に対して買米を指示

武家も農民も米価下落に困ること指摘
商人も薄商いは困るはずと指摘
買米は永久的なものではないことを指摘
米価が高値となれば売却できることを指摘

目標高を設定するが・・・
目標高を低くするよう攻防があった
実際に買い持ちする米は目標高より低かった

幕府=買い持ちを命令できる権利
商人=買い持ちを認可される権利

升屋平右衛門だけ気前よく買米に応じる
それをお上は褒めた
大阪商人は苦々しく思う
家格に応じて買米の目標高設定に応じなければいけない雰囲気(世間体を気にした)

文化4年5月~6月に近畿地方で水害発生し、政策解除

草間伊助(のちの鴻池屋伊助)「草間伊助筆記」「三貨図彙」
買米を引き受け、お上からは褒められ、売却し利益を得た
商人からの減石を願い出ること、なかった

いざ買い持ちを必要とする現銀を必要とし、手元キャッシュの確保による機会損失を指摘
洪水発生で米価高となったが、なければ上記の機会損失があることを指摘

宝暦の御用金拠出があったため、ほぼ政策コミットで米価が上昇した