先日、無量寿経の「極楽浄土には畜生(動物)はいない」という記述に注目し、記事の中で紹介しましたが、その後、何人かの方から「本当に動物は天国に行けないの?」という質問をいただきましたので、ちょっと調べてみました。

 

 

 どうやら、2016年に浄土宗内で「ペット往生論争」として話題になっていたようです。

 

 京都・佛教大で行なわれた「浄土宗総合学術大会」において、大阪の圓通寺の安達俊英住職は、浄土宗始祖・法然上人の「動物は仏教の教えに巡り合えず、長い間輪廻を繰り返すことになる」との法語を根拠に「動物は順次往生できない」と持論を展開した。

 しかし、この大会に同席していた大正大学・林田康順教授は「回向(死者の成仏を願って仏事供養すること)によって動物も順次往生できる。大事なペットを亡くした方に往生できないというのではなく、法語を用いて順次往生を説くことができるのでは」と反論したのである。

(2017/2/26 週刊ポスト)

 

 動物は、念仏を称えることができないですし、極楽浄土を観想することもできない、そして、善行を積み重ねることもできませんので、極楽浄土に生まれ変わることができない…という主張があって、他方で、念仏や供養の功徳を故人に向ける回向の力があれば、動物も極楽浄土に行ける…という反論が出たようです。

 

 とりあえず、この論争を見る限り、動物の極楽浄土行きは、動物自身の力では不可能だということは共通の見解のようで、少なくとも、我々人間が愛する犬や猫のために念仏や供養などで回向する必要はあるようです。

 

 そして、私としては、冒頭にお話ししたとおり、「極楽浄土には動物がいない」という記述から、阿弥陀仏による積極的な動物救済意思が見えないのが気になっていたのですが、これに対し、浄土宗の人々によると、無量寿経の中に以下の一節が阿弥陀仏による動物救済の根拠となっていると言っています。

若在三塗勤苦之処、見此光明、皆得休息、無復苦悩、寿終之後、皆蒙解脱

(訳:地獄や餓鬼や畜生の苦悩世界にあって、阿弥陀仏の光明に出会うなら、安らぎを得ることができる。そして寿命を終えた後、解脱を得ることとなる)

 

 三塗とは、餓鬼界・畜生界・地獄界の三つの苦しみの世界のことですが、この世界でも、阿弥陀仏の光が届くことがあって、これに救済される…と言っています。確かに、この記述からは、阿弥陀仏と動物救済が無関係というわけではないように見えます。どのようにして阿弥陀仏の光明を亡くなった愛する動物に届けるのか?…というところで、動物供養が登場するということでしょうか。

 

 なるほど。現在でも、浄土宗としての統一見解は出されていないようですが、個人的には結構納得に近づいたと思います。

 

 ちなみにですが、「極楽浄土には動物がいない」という記述の矛盾を解消する説明として、動物が極楽浄土に生まれ変わる場合、①人間や天人の姿になって生まれ変わる②一度人間界に生まれ変わってからそこから極楽を目指す…という2つの理屈があるようです。愛する動物が、美しい天人(極楽浄土に醜い者はいない)になって極楽で再会できるというストーリーは非常にロマンチックで、残された飼い主の心を癒すには十分に思えますね。