得度の際、式の前日の晩に知らない真言を2つ覚えるように言われ、一生懸命覚え、式の本番時にそれらを唱えたのですが、それはもう大変ぎこちない感じになってしまいました。

 考えながら発せられるような未熟な真言に大した効果はないことは明白で、座禅でも座り慣れておらず足が痛い状態で悟りなど語れるはずがないように、仏事を行うにあたっては、発せられる言葉や動作が心身の一部になっていないとダメだと思います。

 以前、知り合いの僧侶から、「経は回数を唱えるのがとにかく重要」と聞いたのですが、それは、度忘れすることが絶対ないくらい徹底的に体に染み渡らせる必要があるということなのでしょう。そのレベルになって初めて、言葉に魂を乗せられる余地が生まれるのだと思います。

 

 そんなわけで、これから真言の暗記にトライします。自分の手元にある真言宗の経典にある46の真言全てを覚えたい。今後、通勤時間など空き時間を利用してひたすら真言を唱えたいと思います。自分は短期記憶力が欠如していて、4桁の数字なんかでも数秒で忘れてしまう有り様なのですけど、真言の暗記の挑戦で、暗記のコツなどを掴めることを期待しています。

 

 進捗は、適宜、このブログで報告したいと思います。

 

【追記4/17朝】

 昨晩、この記事を書いた後、姉弟子から「懺悔文、三帰、十善戒、回向、光明真言等、在家の勤行でも使われているものはマストだよ」などとアドバイスをいただき、これらもあわせて覚えていきたいと思います。そして、「まあ、修行道場に入って然るべきタイミングで教わるのが重要だけどね」とも言われました。我流にならないようにするのは重要ですね。師僧・姉弟子との連絡を密にとりながら色々進めたいと思います。

 ちなみに、私が信仰する歓喜天の拝礼作法で光明真言、懺悔文や三帰などは日常的に読誦していたので、とっつきやすいです。