前回記事「怪談累ヶ淵と仏教(その4)」の続きです。

 

 怪談「累ヶ淵」の怨霊である累の墓所がある「法蔵寺」の裏手にある鬼怒川に向かいます。

 グーグルマップでは鬼怒川沿いに「累ヶ淵」という表示がありますが、実際には「累ヶ淵」の詳細な場所は特定されていません。ただ、場所が「羽生村の鬼怒川」であったという記録から、この辺りであるということは間違いないでしょう。

 

 途中、道祖神(村境にある疫病や悪霊を防ぐ神)が見られるなど、当時の村の面影を偲ばせる石碑・石仏が見られます。それにしても本当に人がいないです…。前回に引き続き怖い(笑)。

 ちなみに、子供のころの記憶では、こういう場所では必ずエロ本が落ちていました(最近はエロ本落ちてないですね)。

 

 鬼怒川に近づくと大きな堤防が存在します。鬼怒川は、古来から、「洪水になると鬼が怒っているように感じられる」と言われていたほどの暴れ川で、昭和30年代には大規模な河岸工事が行われており、流域も変わってしまっているようです。ちなみに、これほどの堤防がありながら、2015年に常総市内の1/3が浸水するほどの大洪水が発生したことは、我々の記憶にも新しいところです。

 

 堤防を下りて川に近づこうとしましたが、枯草に阻まれて先に進めず、ここまで来るので精一杯でした。これ以上進むと突然川に落ちるという危険性もあり、下手すると私自身が怨霊になる危険性があったので引き返しました(そして、ネットでは「男性が川に落ちて溺死したのは累の怨念によるもの」とされることは間違いありません)。それにしても、枯草だらけで寂しい場所でした。陰鬱な感じが怪談「累ヶ淵」のイメージに合致しますね…。

 

 さて、今回、怪談「累ヶ淵」を自分なりに理解するにあたって、この「鬼怒川」が大きな手掛かりとなりました。というのも、今回の現地訪問によって、この付近には、「累ヶ淵」とは別に、以下のような話が伝わっていることを知ったからです。

 

1656年(明暦2年)、常陸国、大雨で鬼怒川が氾濫しそうになった際、水勢を鎮めるため人柱を立てることとなった。工事現場に食事を運んできた巡礼の孤児「お伽羅(きゃら)」が選ばれ、無理矢理水中に投げ込まれたとも、自ら進んで人柱になったとも伝わる。その後、供養のため供養塔が建てられ、茨城県常総市の安楽寺境内には「お伽羅の供養塔」がある。

Wikipedia「人柱」

 

 上の写真は累の墓所がある法蔵寺から北に2kmくらいのところにある「安楽寺」境内にある「お伽羅」の供養塔です。私は、以前から、こちらの安楽寺が「厄除け元三大師」として名高い天台宗の寺院であることを知っており、今回の累ヶ淵現地訪問の帰りに合わせて参拝したのですが、境内で偶然見つけた「お伽羅の供養塔」、その立て札の内容を見て非常に驚きました。次回はお伽羅事件の詳細と、それを基にした怪談「累ヶ淵」の考察を示したいと思います。

 

 次回に続きます。