我が国には、怪談(幽霊)の文化があります。怪談は、江戸時代、書籍のほか落語や歌舞伎の演目になったりして庶民の人気を集めました。有名なのは、お岩さんの四谷怪談、お菊さんの番町皿屋敷、お露さんの牡丹灯篭でしょうか。これらは我が国における三大怪談と呼ばれています。

 

 現在40代半ばである私が子供の頃には、夏休みに四谷怪談の映画やドラマがテレビで放映されていましたので、私は説明ができる程度に内容を知っていますけど、最近の若い人たちの多くは知らないようです。実際、若い人たちに聞いてみましたが、ほとんどの人は知りませんでした。

 

 これらの怪談は今聞いても(見ても)怖いです。怪談で現れる幽霊については、明確に「恨み」がベースとなっていることから、人の業の恐ろしさを感じることができますし、とにかく、いつまでも執念深く襲ってきて、また、都合よく姿が現れたり消えたりするので、戦っても倒すことができません。一度狙われたら最後という感じです。

 1998年に公開された映画「リング」が我が国のホラー映画の金字塔となったのは、日本の怪談と現代社会をうまく融合させたからでは…などと妄想しています。

 

 怪談の中では、四谷怪談が一番有名でしょうか。夫に毒を盛られて死んだお岩さんが復讐のために、醜い幽霊となって執拗に襲ってくるという内容で、もはや「恐怖の型」としては完成形になっていると思います。 

 ただ、この「恐怖の型」については更に基となった原型があり、それは、江戸時代で一番有名だった怪談「累ヶ淵」であると言われています。今の若い人は、四谷怪談すら知らないわけで「累ヶ淵」となると、もうほとんど知らないでしょう。

 

【累ヶ淵】

 

累ヶ淵(かさねがふち)は、茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名。江戸時代、この地を舞台とした累(るい、かさね)という女性の怨霊とその除霊をめぐる物語は広く流布した。
 

累の物語が最初に知られるのは、元禄3年(1690年)に出版された仮名草子本『死霊解脱物語聞書』である。『聞書』によれば、慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)までの60年にわたって繰り広げられた実話に基づくとされている

Wikipedia「累ヶ淵」

 

 「累ヶ淵」は、茨城県常総市に存在したとされる地名ですが、現在では、詳細な場所が特定できなくなっており、地名としてではなく、その周辺で実際に発生したとされる幽霊事件の顛末を記す「怪談」のタイトルとして知られています。そして、この怪談は、仏教がかなり大きく関わっており、「幽霊には仏教で対抗」という庶民の認識が根付いたきっかけの一つとなった…と、私は考えています。

 

 そんなわけで、これから数回にわたって、この「累ヶ淵」に関するお話をしたいと思います。

 

 次回に続きます。