前回記事「回向院・延命寺(東京都荒川区南千住)その1」の続きです。

 

延命寺 東京都荒川区南千住

 延命寺は南千住駅から徒歩数分のところにあり、宗派は浄土宗で、ご本尊は阿弥陀如来です。本堂は正面のコンクリート製の建物だと思われますが、私の参拝時は人の気配もなく中に入れなかったため、色々、勝手が分からなかった…という感じです。

 延命寺は、元々回向院と一つであったところ、明治時代の常磐線建設によって分断したことをきっかけに、別寺院として独立したそうです。寺内には、小塚原刑場での刑死者の慰霊を目的として1741年に建立された地蔵菩薩像が存在します。

 

 こちらがその地蔵菩薩像です。通称「首切地蔵」と言います。首切地蔵…ってネーミングはどうなのよ…と思います。これだと地蔵菩薩が誰かの首を切ってるように聞こえそうです(荒川区のホームページでも「首切地蔵」と普通に紹介しています)。また、「延命地蔵尊」が正式名称らしいのですけど、刑死した人々を慰霊する地蔵菩薩なのに「延命」というのはどういう解釈なのか、何だかよく分からないところがあります。これは、明治維新によって小塚原処刑場が廃止された後、首切地蔵が災厄除けや病気治癒にご利益のある地蔵として信仰を集めていたことに由来しているのかな…とか思います。

 

 首切地蔵前の手前には、題目(南無妙法蓮華経)と刻まれた「題目塔」が建てられており、首切地蔵と同様に「荒川区指定文化財」となっています。浄土宗の寺院内に題目が記される碑があるのはかなり珍しいケースですが、この「題目塔」は、全国の刑場跡で建てられているとのことで、特に、京都の商人で法華信者の「谷口法悦」によって建てられたものが有名だそうです。

 延命寺の「題目塔」には、1698年に設置された旨が刻まれていますが、その後土中に埋まっていたようで、法華信者がこれを掘り返し、1867年に再設置されたという経緯があるそうです。

 

 

 さて、今回、回向院と延命寺の参拝を終えてみて、相当量の新しい知見を入手することができました。そして、今回の記事を作成するにあたって、裏付けを取るため、ネットで色々調べていたところ、以下のような記事を見つけました。

 

 

 1998年10月30日に、つくばエクスプレスの開発時の地下掘削中に、105個の頭蓋骨が出てきたという記事です。そして、その後の2001年にも頭蓋骨が252個見つかったということです。骨は、棺などの容器もなく土中に埋められていたそうで、小塚原刑場で刑死した人たちのものであると推測されています。これまで、「処刑をされた罪人に対する手厚い供養は許されておらず、遺体は、野ざらしにされたり、土を被せられるだけだった」と伝えられていましたが、記事における「棺がない骨の出土」は言い伝えを裏付けることになっているものと思います。

 

 「小塚原刑場において、遺体が野ざらしにされる有様は、夏になると臭気が漂うこともあって、地獄の様相であった」と、回向院は伝えています。ただ、罪人といえど、遺族の中には故人の冥福を祈っていた者が多く存在したことは想像に難くありません。そのような状況で、回向院が立ち上がり供養を始めたことは、称賛に値すると個人的には思います(政治的・官僚的な動きもあったのかもしれませんが…)。「穢れ」の意識が強かった中世以降、日本の仏教集団が汚れ役を引き受けていたということでしょうか。

 

 仏教が葬送儀礼を引き受けていたことは、私にとって非常に強い感心事項であり、今後、調査と学習を進めて報告ができれば…と思っています。