覚王山日泰寺(愛知県名古屋市千種区)
昨年訪問した名古屋市千種区にある日泰寺です。名古屋市営地下鉄東山線に「覚王山」という駅があるくらいなので、名古屋市民は知っていて当然のお寺なのかもしれませんが、全国レベルで言うとそれほど有名な寺院ではない気がします。
しかし、この寺院は、我が国の仏教徒にとって特別な価値を持っています。
入口の立て札にはこう書かれています。
「タイ国王から寄贈された釈迦の舎利(遺骨)をまつるため、明治37年に建立された我が国唯一の超宗派の国際的寺院である」
なんと、日泰寺では、本物の仏舎利(釈迦の遺骨)をまつっているとされているのです。
大きなお寺に行くと五重塔や三重塔といった仏塔を見かけますが、建前として、どの仏塔にも仏舎利が納められているとされます。釈迦の死後、仏舎利は8つに分割されて塔(墓)が築かれましたが、紀元前3世紀ころに、仏教を篤く保護したとされるアショーカ王によって84000に分割され、各地に建てられた塔に分納されたとされます。これが「仏塔には仏舎利が納められている」とされる由来です。
ただ、仏教徒にとって極めて貴重な仏舎利が日本にもたらされるわけもなく、日本の寺院における仏塔には、ヒスイや瑠璃などの宝石などが仏舎利の代替品として納められています。ちなみに、奈良の唐招提寺には、鑑真が請来したという仏舎利が納められており、京都の東寺には、弘法大師が中国から持ち帰ったとされる仏舎利が納められているとされますが、これら舎利については、本物の仏舎利であるという裏付けがないのです。
©日泰寺ホームページ https://www.nittaiji.or.jp/11histo/
他方、日泰寺に収められる仏舎利については、考古学的な裏付けがあるとされます。1898年、ネパールの南境で、イギリスの駐在官ウィリアム・ペッペが古墳の発掘作業中、人骨を納めた壺を発見しました。その壺には、西暦紀元前3世紀頃の古代文字が側面に刻まれており、「この世尊なる佛陀の舎利瓶は釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに信の心をもって安置したてまつるものである」と記されていたのです。
発見されたこの仏舎利は、仏教国であったタイの王室に寄贈されることになり、その後、日本とタイの友好の証として一部が日本に寄贈されることになります。
当然、日本の仏教界では、本物の仏舎利がもたらされるということで大きな話題となります。そして、ここで日本の仏教界が素敵だったのは、「受け皿となる超宗派の寺院を建てよう」と取り決めたところです。実際には、宗派間で激しい争いや大変な苦労もあったようですが、その末にこちらの日泰寺が創建されることになります。そして、現在でも、日本仏教の各宗派の管長が輪番制により3年交代で住職を務めているということです。
何が感動的かというと、多宗派で考え方がバラバラ、時には互いを批判し合う日本仏教が、釈迦の遺骨を中心に一つにまとまっているということです。釈迦の力はやはり偉大であることを証明しているといえるのではないでしょうか。
さて、仏舎利ですが、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されています。結構歩きます。
日泰寺は、広大な境内に非常に立派な本堂と五重塔を有していますが、何故か「奉安塔」は境内にありません。せっかくだから五重塔に奉納したら「真の五重塔」みたいな売り込みもできる気がするのですが。
奉安塔の参拝はこの場所までです。もうちょっと近くまで行けるようにしてもらえないかな…とか思いますが、防犯上の都合や過激な仏教徒の行為を防ぐためには、これくらいの距離を設ける必要があるのかもですね。ともあれ、南無釈迦牟尼仏。合掌。
それにしても、参拝時は平日の14時くらいだったと思うのですが、私以外の参拝客が一人もいませんでした。何故…。
釈迦の本物の「仏舎利」ですよ。みなさん‼