前回記事「仏教と霊魂(その6)」の続きです。

 

「大乗非仏説」(だいじょうひぶつせつ)という言葉があります。「大乗仏教は、使用する経典が釈迦の直説ではなく創作されたものなので、釈迦の真の教えではない」という考え方です。日本仏教も、大乗仏教なのでこの大乗非仏説を論拠として「偽物の仏教である」などと批判されることがあります。ただ、実のところ、日本仏教の中には、大乗非仏説の批判の影響を受けない宗派がいくつか存在します。

 

 例えば、その中の一つに真言宗があります。真言宗は、大乗仏教の中でも最後発である密教(金剛乗といって大乗仏教と区別することもあります)に属し、法華経や浄土経といった大乗経典よりも、大日経や理趣経といった密教経典を重視しています。密教においては、経典内の説法者が釈迦ではなく大日如来であり、釈迦は複数いるブッダのうち一人で、他方、大日如来はその中で最高の存在であると位置づけられています。真言宗では、大日如来を最高仏として教義体系が構築されていることから、「釈迦の教えを捏造した」という大乗非仏論による批判が通用しません。「真言宗は釈迦の真の教えではない」と言って批判されても、真言宗としては、理屈的には「はい。そのとおりです。大日如来の教えです」と回答することが可能でしょう(そのような問答がされることは決して望ましくありませんが…)。

 

 そのためでしょうか、これまでこのブログで話してきたように、霊魂に対する仏教の縛り、すなわち釈迦による「無記」の縛りがほぼ見られないように見えます。浄土宗の僧侶兼ジャーナリストの鵜飼秀徳氏が日本仏教の各宗派の本山に対して「貴宗教団体は霊魂の存在を認めていますか?」というアンケート調査を行ったところ、各宗派が回答を避ける姿勢を見せる中、真言宗だけが2日という超短期間で回答し、高野山真言宗本山の宗務総長名で「霊魂を認めています」と明記し加えて、「人は死の瞬間に自分が死んだという事実を受け入れることが出来ません。葬儀は、その様な死者に死を自覚させる行為です」などと、真言宗が霊魂とどのように向かい合っているかについても詳しく説明しました。

 

 そもそも、真言宗は、仏と法界(全世界・宇宙)が衆生に加えている力(加持力という)を前提とする修法を基本としており、供物を火に投げ入れて祈願する「護摩祈祷」によって悪霊払い・厄払いなどを行うなど、霊魂が存在することが大前提となっている宗派です。平安時代の宗派創設以降の長い歴史の中、怨霊の魂鎮めなどを何度も行っており、霊魂に対する取り組みについて相当量の情報・技術蓄積があるものと推察します。

 

 今回の記事では、密教の宗派として真言宗を主に取り上げましたが、創設当時は大乗経典「法華経」に依拠し「顕教」(けんきょう)であった天台宗も、慈覚大師円仁・智証大師円珍によって密教が取り入れられており、真言宗等と同様に「護摩祈祷」によって悪霊払い・厄払いなどを行っています。日本仏教は、密教のほか、神道とも習合(融合)して日本古来の霊魂観を取り込んでおり、釈迦の仏教と全く異なる霊魂観を持っています。これまで述べてきたとおり、「釈迦による本来の仏教では霊魂を説かなかった」という事実はありますが、私としては、現実として長い歴史の中で「霊魂」と向き合ってきた日本仏教の宗教的役割には大変な価値があるものと考えています。

 

仏教と霊魂(その8)」に続きます。