仏教を自由に語る場でよく耳にするのが、「現代の日本仏教は、本来の仏教とはかけ離れたものである」という意見です。「なるほど。では、本来の仏教とは?」と質問すると、「スリランカやミャンマー等で信仰されている上座部仏教こそが本来の仏教である」とおっしゃる方が多いと感じます。

 

 「上座部仏教が本来の仏教である」という根拠については、「上座部仏教の聖典が仏教経典の中で最も古いとされる阿含経典(ニカーヤ)であるから」…とされます。確かに、日本仏教は、大乗仏教であり、釈迦の死後五百年後以降に作成された法華経や浄土経典等の歴史の新しい大乗経典を聖典としています。

 経典については、その作成(編纂)年代が古ければ古いほど、釈迦の言説に近いと推定されるのは当然であり、したがって、上座部仏教が「釈迦の本来の教えである」というのも説得力があります。

 

 ただ、注意したいのは、最も古いとされる阿含経典であっても、釈迦の死後数百年後に文字に起こされたという点です。阿含経典は、釈迦の死後から間もなく、弟子たちが集まって教説内容をまとめ、口頭によって伝えられた「伝承」がベースとなっています。しかし、阿含経典が成立するころには、仏教教団の部派(宗派)間で伝承の内容に差が表れていたと言われます。口頭による伝承者の解釈の違いや親切な解説によって増広(加筆)されていたようであり、また、仏教学者の松本史郎氏は、阿含経典の中でも最古とされるスッタニパータに、他宗教(ジャイナ教)の思想がかなり紛れ込んでいることを指摘しています。

 

 仏教学者たちの多くは、阿含経典について、釈迦の言説に近かったことを推測しつつも、釈迦の言葉そのままであったことについては否定しています。つまり、現状、釈迦の言説の真実については、いまだ不透明な部分も多く、今後、更なる研究成果を待つ状況にあるということになります。

 

 以上から、私としては、「日本仏教が本来の仏教とはかけ離れている」という意見ついては、正しい指摘であるとしつつも、他方「上座部仏教こそが本来の仏教である」と結論付けることはありません。それよりも、仏教が、全ての現象が時の推移とともに移り変わってゆかざるを得ない「諸行無常」を根本に据えていることを考えると、むしろ、「大乗仏教が本来の仏教ではない」ことを肯定的に捉えてさえいます。

 

 葬式や儀礼に重きを置いていることで、ネガティブに捉えられがちの日本仏教ではありますが、今後、このブログで肯定的に言及していけたらと思っています。