前回記事「仏典を読む(その20)無量寿経(下巻)8」の続きです。

 前回記事では、お釈迦様によって、極楽浄土における生まれ方として「胎生」と「化生」の二つがあることが示されました。胎生の者は、阿弥陀仏の智慧を完全に信じられなかった者で、極楽浄土に生まれ変わっても信心が養われるまでの500年間は宮殿に閉じ込められるとのことでした。これらを踏まえてお釈迦様から教えが説かれます。

 

【無量寿経(下巻)】9

 釈迦が弥勒菩薩に仰せになる。

㉘ 王が七つの宝でできた宮殿を持っているとしよう。その国の王子たちが罪を犯して王から罰せられると、黄金の鎖でつながれて宮殿の中に閉じ込められる。王子たちは、食べ物や飲み物、衣服や寝具、香り高い花や音楽など、何一つ不自由することがないとしても、その宮殿にとどまりたいと思うだろうか。これと同じように胎生の者たちは、極楽浄土の宮殿の中で何のストレスもない生活を送れるのであるが、500年の間、仏や菩薩や声聞たちに会うことができず、教えを聞くこともできず、そして、仏がたを供養して功徳を積むこともできない。このことはまさに苦なのである。弥勒よ。よく知るがよい。仏の智慧を疑うものは、大きな利益を失うのである。それゆえ、阿弥陀仏のこの上ない智慧を疑うことなく信じるがよい。

 

㉙ この世界からは、今後、将来悟りを必ず開く67億人の菩薩が極楽浄土に生まれ変わるだろう。ただし、この世界の者たちだけが極楽浄土の国に往生するわけではない。遠照仏の国からは180億の菩薩が、宝蔵仏の国からは90憶の菩薩が、無量音仏の国からは220億の菩薩が、甘露味仏の国からは250億の菩薩が、龍勝仏の国からは14億の菩薩が、勝力仏の国からは1万4千の菩薩が、獅子仏の国からは500億の菩薩が、離垢光仏の国からは80億の菩薩が、徳首仏の国からは60億の菩薩が、妙徳山仏の国からは60億の菩薩が、人王仏の国からは10億の菩薩が、無上華仏の国からは数えきれないほどの菩薩が、無畏仏の国からは790億の菩薩が、それぞれ極楽浄土に生まれ変わるのである。

 

㉚ 私(釈迦)は、この度、阿弥陀仏についての教えを説き、さらに阿弥陀仏と極楽浄土の様子を見せた。もし、この上にまだ尋ねたいことがあれば、躊躇うことなく問うがよい。私がこの世を去った後に疑いを起こすようなことがあってはならない。私がこれまで示した様々な悟りへの道は、私が死んだ後、やがて全て失われてしまうが、特にこの教えだけはいつまでも留めておこう。私は、このように仏となり、様々な悟りへの道を示してきたが、ついにこの教えを説くに至った。阿弥陀仏の名を聞き、喜びに満ちあふれ、わずか一回でも念仏すれば、大きな功徳を身に備えることができる。世界中が火の海になってもひるまずに進み、この教えを心に保ち続け口に唱え、ただこれを信じて教えのままに修行するがよい。

 

 釈迦が教えを説き終わると、数限りない多くの者が悟りを求める心を起こして将来仏となる身となったのである。天も地も様々に打ち震え、光明は広く国々を照らし、実に様々な音楽が自ずから奏られ、数限りない美しい花があたり一面に降り注いだ。弥勒菩薩をはじめ様々な菩薩たちや阿難などの声聞たち、その他の全ての者の中で、歓喜の心を抱かない者は誰一人としていなかった。

 

【メモ】

 3/25に無量寿経の要約を始めてから50日目にしてようやく完結となりました。「大経」と言われるだけあって、とにかく長かった…。しかしながら、得るものは大きかったです。

 

 ㉘について、何一つ不自由のない生活でも仏道から離れた生活は苦であるということが説明されています。お釈迦様が王族の身分を捨てて出家したことと重なりますね。極楽浄土の本質は、安楽の場ではなく、仏道修行の場であるということを示しています。

 ㉙について、我々の世界だけではなく、様々な世界の菩薩が極楽浄土に生まれ変わるということが説明されています。我々の世界を含めて14の世界が例示されていますが、これ以外にも無数の世界があって、多くの菩薩が極楽浄土に生まれ変わるのだそうです。それにしても、勝力仏の国からは1万4千人の菩薩しか生まれ変われないのが気になります。ちなみに、我らが釈迦仏の国は14か国中9番目の極楽往生者数となります。ひょっとしてお釈迦様は仏ランキングでは結構平凡なのでしょうか。

 ㉚について、この無量寿経の最終盤で、お釈迦様が「自分の死後、様々な教えが全て失われるが、この教えだけはいつまでも留めておこう」と述べており、この発言は、仏法が滅びるとされる末法の時代(わが国では平安時代と考えられた)に浄土教が大流行する根拠の一つとなったものと思われます。また、お釈迦様の「様々な悟りへの道を示してきたが、ついにこの教えを説くに至った」という発言は、お釈迦様の説法の中でも、浄土教が最も重要な教えであると受け取られる根拠となったのでしょう。


次回以降、観無量寿経の要約に続きます。