3/18記事「関東三十六不動霊場巡礼(その5)第18番札所「瀧泉寺・目黒不動尊」」の続きです。

 

 5/22午後のことになりますが、突然お客さんから打ち合わせキャンセルの電話があり、「お。これは仏様に呼ばれているな」と思ったので休暇を取り、しばらく中断していた関東三十六不動霊場を巡礼しました。2か月ぶりとなります。

 

第10番札所「田無山・総持寺」

 田無山・総持寺は、西武新宿線田無駅から北東へ徒歩5分のところに所在する真言宗智山派のお寺です。前から何となく気になっていたのですが、「総持寺」という名前のお寺は各地に存在します(しかも本山級の有力寺院だったりする)。したがって、何か特別な仏教的意味があるのではと思い、岩波仏教辞典で調べたところ、「総持」とは、dhārani(陀羅尼)の漢語訳らしく、そして、その意味は、「悪法を捨てて善法を持する意で、仏の説くところをよく記憶して忘れないこと」なのだそうです。なるほど。寺名にはもってこいの言葉です。

 各地の総持寺の前を通りかかった際は、お連れの方にこのようなうんちくを語ればよろしいかと思います(オッサンのうんちくとしてウザがられます)。

 

 山門には、立派な四天王がいらっしゃいます。私は、四天王の中でも広目天が好きですね。こちらの広目天は武器を持っておられますけど、多くの広目天は武器ではなく、筆と巻物を持っていて何かを書き留めている姿です。何かを書き留めている時に怖い表情をしているということは、その内容はきっとロクでもないことだろうな…とか想像するのが楽しい。

 また、広目天については、眷属が龍というのも良いし、額に第三の目があって真実を見通すことができるというのも良いです。いずれ詳しく。

 

 

 本堂およびご本尊です。ご本尊は、行基菩薩が刻んだとされる不動明王像です。こちらのお寺については、江戸時代までの記録はほとんどなく、開山は江戸時代の俊栄和尚と伝わります。ご本尊が行基作の有難い仏像だということで、これを安置するための寺を建てた…というのが始まりだということです。

 参拝時には周りに他の参拝客がいらっしゃらなかったので、般若心経・不動経をしっかり唱えさせていただきました。本日、お呼びいただき大変光栄でした。合掌。

 

 こちらのお寺には下田半兵衛富宅という人物の木像が安置されています。この下田半兵衛富宅は、この付近にあった田無村の名主(村人たちのリーダー)であった下田家の歴代当主(全て下田半兵衛と呼ばれた)のうちの一人です。歴代の下田半兵衛たちは、村の食糧不足に備えるために、裕福な村人たちと協力して稗(ひえ)75トンを「稗倉」に蓄え、また、田無神社の再建に尽力したり、換金して老齢の者や貧しい者に施すための作物を作る「養老畑」という畑を作ったりするなど、多くの慈善事業を行ったことで知られます。こちらのお寺でも、下田半兵衛の援助を得て本堂が建てられたと記録が残っています。

 下田半兵衛は、西東京の偉人として地元小学校の教材に登場するのですが、残された記録を見ると、武士と農民の間に立つ中間管理職として大変な苦労をしていたことが分かり、サラリーマンにとっても大変参考になります。面白い。

 

 

 

 参拝を終えた後、帰り道に石碑がありました。「無我」です。これを見て参拝時に自分の願いだけを抱いていては「無我」にはならんよなあ…と思いました。「無我」とは、他人と自分を含めたあらゆる存在に対する慈悲心から生じるものだと、これまでの祈りの経験から感じています。

 

 

 次回に続きます。