10年前に大町の本屋で買ったまま積読していた本になる。
小牧長久手の戦いにおいて、徳川家康・織田信雄と豊臣秀吉との合戦で越中の佐々成政は徳川織田側につくことにしたが、参戦してすぐに両者は和解してしまう。
すると、秀吉側の加賀の前田、かねてからの宿敵越後の上杉に囲まれた越中は孤立無援となる。
再び秀吉との戦へと翻意させようと佐々成政は浜松の徳川家康のもとへ訪れる。
各種の記録から、厳冬期に富山から浜松まで佐々成政が来たというのは事実であるが、どのようなルートが使われたのかが不明であり、その一説が厳冬期の北アルプスを横断した「さらさら越え」と言われている。
本書では桶狭間で織田家が天下を目指すところから、長篠合戦、本能寺の変や、賤ケ岳の戦い、の際に佐々成政がどのような立場だったのか考察する。
そして、最後には佐々成政の目的が徳川家康の翻意である以上、命がけのリスクは犯せない。
また、厳冬期の北アルプス越えが戦国時代では、そのリスクに見合うことはないと考える。
ゆえに、さらさら越えはなかったと結論付けている。
織田家の家臣だった佐々成政は、天下の行方ではなく、常に織田家家臣としての行動を考えていたと思われる。
その実直さゆえに、天下の行方に翻弄され消えることになった。
それを物語を英雄譚として創作されたのが、さらさら越えなのだろう。