どうもこんにちは。片桐です。ヽ(´ー`)

ブラックコーヒーを傍らに、
今これを記しています。
美味しいですよね。ブラック。☕️


えー今日はですね、僕の胸に深く残っている
ある日の思い出について話していこうと思います。

思い出というか、分岐点?的なものですね。

この話を僕から聴いたことがある方もない方も、
同じような経験をされた事があるという方も、
ぼーっと眺めてくだされば嬉しいです♪

※  思いの丈を妥協なく記します。
 多少ながくなってしまうかもしれません。
 許してちょ。(イメージ柔らかくしていこう作戦)

はい、ではですね、いきますよ。



まずは僕ですね、高校3年生の頃から
毎年の冬を迎えると、ゲレンデへ
スノーボードをしにいくんですね。

両脚を拘束されるイメージもつよく、
やられた事がない方は、こわいという
イメージも強いかもしれません。


逆に僕は、スキーが大の苦手でして......
まず止まれない。ブレーキが存在しない。

「止まるときはハの字」とかいう概念を
編み出した輩に意義あり。
問い詰めたいくらい。
ハの字をしても止まらないときに感じるのは
雄大な自然の存在。僕はちっぽけだ。


脱線しました。

僕の器の小ささとかちっぽけさとか
そういうくだらない事を
綴りたいわけじゃないんです。

まあ要約すると、

「冬になるとスノーボードへ出かける」

これが言いたかった。
(ここでまだ序章ですからね。)


そして、スノーボードによって
背中を怪我するわけですね。

結構というか、かなり大きな怪我で。

今こうして歩行できてる事がある意味
奇跡に近いというか、有難い事です本当。
怪我の詳細については省きます。
許してちょ。
(気になる方には教えます。(´-`))

この怪我が大学1年生の冬の事ですね。


ボルト14本、バー2本を背骨に添わす手術の後、
45?日くらいの入院を余儀なくされました。
当たり前ですね。
すこし滑れるようになったからって。
このバカやろう。


そんな入院生活。

まだまだ食べ盛りの僕です。
1日の楽しみは時間通りに運ばれる
ご飯(病院食)でした。


嫌いなものといえば、
魚の骨、鰻、ブラックコーヒーくらいです。
それはもうバクバク食べていました。

さながら、歩く掃除機の如く。
I'm a walking vacuum cleaner. ハハハ


医療に携わる方はご存知かもしれませんが、
病院食って「熱いもの」が出なくてですね。

「温かいもの」はあるんですけれど、
ふーふーするほどに温度の高いものがでない。


僕は結構な猫舌で有名なんです。
(主に実家で。)

 
そんな僕が、それを求めてしまう程。


なんていうかこう、

「ぁあ~ふーふーしたいっ!!くそ!」

みたいになったわけですよ。可笑しい話です。


いっその事、電子レンジを
設置するかと自問自答。

まあけっこう悩んだのですが、
6人部屋で非常識すぎるだろ、と却下。


諦めました。そもそも病院というところは
健康の道のプロフェッショナル。

組まれた献立は栄養バランスを考慮され
運ばれる料理も適温のはずです。
そもそもが烏滸がましい思考でしたわ。


そんで、話はある日に飛びます。

この6人部屋、どうやら
僕の右側に入院されてる方は
コーヒーが好きなようです。
(写真だと左奥側)

(スヌーピーが僕の位置)


毎朝運ばれてくる朝食のタイミングで、
奥さんがボトルに詰めてコーヒーを渡しに来る。

毎日です。カーテン越しに漏れてくる話を聴くと
どうやら奥さんは病院に勤務しているらしく。


キュッキュッ ていう、マイボトルのあの音の後、
無糖であろうコーヒーの香りが漂ってきます。


まっったく飲めないその香りの主のはず、
僕は不思議と胸一杯に吸い込んでいました。


いい香りだなあって。


入院生活を続ける僕にとって、
毎朝訪れるその時間がいつしか
食事に次ぐ楽しみになっていました。



そしてまたある日の事。

ある時、右側のカーテンがザーッと開きました。


昭和の優しさを詰めたような、
そんな顔をしたおじいさん。


「ほれ、飲んでみ」


その言葉と共に手渡されたのは
プラスチックのコップ。


確認せずとも分かってしまう。
そこに注がれた液体の正体。


ブラックコーヒーだ。


あのカーテンをめくる勇気、
入院された方ならわかってもらえるでしょうか。

たかが布1枚、されど布1枚。

それをめくって手渡されたこのコーヒー。


「飲めません」


そう一言発して、断る事の野暮。

一希、漢の見せどころ。


「ありがとうございます」


そう言ってしっかりと受けとりました。


おじさんの視点は僕から外れず、
どうやら反応を伺いたいらしい。


ああ、香りならまだしも。

本体を口にしなければならないのか...

「とても美味しいです」とでも言えば満足かな。


そんな寸分先の未来を思考しながらも、
ゆっくりとコップに口をつけます。
(あー苦い。絶対苦いよ。。。)


ところがどうした一希。
どうしちまったんだオレは。


脳が司令を出す前に、口は息を吹きかける。
温度の安全確認も十分でない手前、
液体に接しにいく舌。


時として身体は、心に伴わない。


液体が喉を通ったその刹那、
口から出た言葉。


「うんま!!!?」


なんだーなんだ、どうした。おっと。
自分が自分でないような感覚。
コーヒー嫌いだったろ。

ゼロ距離で吸い込むその香り。
脳の神経に直接触れ、
温かくほぐしてくれるかのよう。


ておい。忘れてた。
おじさんへのリアクションしなきゃ。


そう思い顔を向けたその先で、
柔らかく微笑む昭和の優しさ。


どうやらその場に、言葉は必要無いようだ。


「うめえだろ?」


既に二口目に取りかかるっている己の口。
なにかを確かめるように。

おじさんへの返事よりも優先されるその動作。


反射的に首を縦に振って、
おじさんの言葉に返答する僕。

それを契機に閉められるカーテン。


ああ。なんてこった。
コーヒーが嫌い。
そんな今までの僕はもういない。


人生の節々にある、さまざまな分岐。

この出来事は、自分にとって
まごう事なきそれだった。


その場で軽い放心状態になった事を、
数年が経過した今でも覚えています。


不思議だ
美味しい
温かい
苦い
ありがとう
安らぎ
癒し
まぶしい
昭和
優しさ

とかく色々な感情。


整理して集約して。
返却しました。


ゆっくりと飲み干したそのコップと共に
「ご馳走さまでした。」の一言を添えて。


僕はその後、まもなく退院の日がやってきて

まがりなりにもこのご恩、
最後に一言挨拶しようと思ったのですが
タイミング悪く昭和の優しさおじさん、
ベッドを外しているようでした。


そのおじさんがそのあとどうなったのか、
僕には知る由もありません。


別に他人ですから、
どんな人生を過ごしててもいいんですけど。

だけど、小さいながらに今でも思うことがあって。


どうか、どうかお元気で。
元気でいてさえくれれば、それでいい。



本当に大きなプレゼントをくれた人。
僕の食の好みを変えたんですから。
これはとても大きな事なんです。
(一希からしてみるとネ)


それからですからね。
僕がすき好んで
ブラックを口にするようになったのは。


この香りを嗅ぐと、
その度に思い出すその人。


本当に感謝してます。
コーヒーの持つ、
この優しさに気づかせてくれて。

昭和の優しさ、
今もどこかで微笑んでいてください。


ちゃんちゃん。

はいっ!おしまい!


あらやだすんごいポエム。
いやほんと、いまさらだけども。
今回だけ許してちょ。



まあなにが言いたかったのかというと、

こんな事があったんですよ〜( ´_ゝ`)

という話でした!はいっっ。
(まとめの力技感すごいな)


※ スーパー長かったでしょう。。。
 この文を読んでくださってる方、
 コーヒー飲みながら蒸気でホットアイマスク、
 おすすめですよ(コソ


レナードの朝 (1990 : Penny Marshall)

コーヒーが人と人を繋ぐ存在として
描かれている作品です。

こちらに置いておきますね。☕️

お時間余す方、気が向きましたら
召し上がってください。🎬


毎日おつかれさまです。
身体と心、できるだけ休めてくださいね。

また踏ん張れるよう。


ほいだばここいらで。
お時間くださり、ありがとうございました♪