上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門 上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門

1,404円

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【目次】
聖書をほんとうにざっくり紹介します!
Part1●キリスト教Q&A
Part2●聖書名シーン
Part3●教会用語辞典
Part4●使徒列伝
Part5●聖書のよくある誤解・カン違い
Part6●聖人たちの意外な一面
Part7●日本の日常に潜む聖書

内容(「BOOK」データベースより)

私たちの言いたいことは「信じなさい」でも「聖書に従いなさい」でもありません。「まずは聖書を楽しんでみて!」です。聖書は、楽しく読んでいいんです。この本も適当に「お!おもしろそうだな!」と思ったところから読んで楽しんでください。

 

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仏教から基督へ―溢るる恩寵の記 (1957年) 仏教から基督へ―溢るる恩寵の記 (1957年)

 

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【固定ページ】


 

「なぜ仏教からキリスト教へ」改宗したかを記しておきます。

私は元々浄土真宗の家に生まれましたが、

親鸞聖人に関する本や、阿弥陀仏の本願について

調べているうちに、浄土真宗以前に仏陀は死後の世界について

何も語っていないし、原始仏教は宗教というより実践哲学で

あると確信し、また浄土真宗についてはインドから

中国に伝わった際に、古代キリスト教のネトリウス派が景教となり

浄土真宗の親鸞も京都西本願寺に保管されている「世尊布施論」を読んだという説もあります。

また、ネットには「浄土真宗とキリスト教の異常な親和性に関する疑問。」

というQ&Aもあります。

個人的には、神が人間になられて歴史上の人物として記録が残っていること、

対して阿弥陀仏はそうではないことからイエス・キリストを信じるようになりました

 

キリスト教放送局FEBCのコーナー

御足の跡を11/14

小池与之祐(日本基督教団神の愛キリスト伝道所牧師)で

リスナーの手紙からで私が送ったメールが紹介されました!

 

小池与之祐先生の「御足の跡を」に
今週もお便りを頂きました。

小池与之祐先生の「御足の跡を」を毎週楽しみにしています。
会堂のこと、介護のこと、吃音のこと、自殺のこと。色々な話題に考えさせられます。
牧師になられた過程も知りたいと存じます。先生のお声を聴いているだけでも癒やされます。
水曜日は母教会の祈祷会が夜になるので帰宅してからFEBCをネットで聴いています。
私はまだ洗礼を受けていないので、
主が洗礼の日を定めてくださる事を祈っていただけると嬉しいです。
これからも、健康に気をつけて下さい。
ありがとうございます。

先生のお返事は本当にシンプルです。

「イエス・キリストを信じて洗礼を受けたいと思われたのは、聖霊の働きです。
牧師にお話してください。祈祷会で兄弟姉妹たちに祈ってくださいと話してください。
喜んで祈ってくださいます。」

なんとも短くて「飾り気」の無さすぎる?ぐらいの言葉ですね。
でもだからこそ、小池先生のこの番組が
今のFEBCにあるんだなと、感じました。

何より、番組後半のお証を聞いて思ったんです。
この先生のお答えって、まさしくご自身が受けた体験を
本当にそのまま純粋に伝えようとされているだけなんだなと…

ただただひたすらに、愚直なまでに、
主の御足の跡を追いつづける先生。
背筋が伸ばされる思いがします。

御足の跡を
小池 与之祐 (日本基督教団 神の愛キリスト伝道所牧師)
毎週水曜日更新
 ⇒ 「リスナーの手紙から」


 

1月23日(水)は午後7時半から定例の祈祷会でした。

今回は牧師夫妻と男性信徒と私の4人でした。

 

讃美歌

 

聖書輪読。

 

ローマ人への手紙より

第9章
9:30
では、わたしたちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。

9:31
しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。

9:32
なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。

9:33
「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」と書いてあるとおりである。

第10章

10:1
兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。

10:2
わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。

10:3
なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。

10:4
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

10:5
モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。

10:6
しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。

10:7
また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。

10:8
では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。

10:9
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

10:10
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

10:11
聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

10:12
ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。

10:13
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

Wikisourceより

 

参照箇所

 

 

 

 ⇒ 黒部バプテスト教会

 

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主の祈り(新改訳聖書)

天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。

 

使徒信条


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。
アーメン

 

 

中高生会は月一度行っています

日曜日
10:30~ 主日礼拝
 (子どものクラスもあり)
14:00~ ジョイキッズ
希望者に夕礼拝を行っています
 
月曜日
希望者に礼拝を行っています
 
火曜日    
水曜日
20;00~ 祈祷会
 
木曜日
14:00~ レディース
 
金曜日    
土曜日
月1回 スイーツの会をしています