仏教から基督へ―溢るる恩寵の記 (1957年) 仏教から基督へ―溢るる恩寵の記 (1957年)

 

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「なぜ仏教からキリスト教へ」改宗したかを記しておきます。

私は元々浄土真宗の家に生まれましたが、

親鸞聖人に関する本や、阿弥陀仏の本願について

調べているうちに、浄土真宗以前に仏陀は死後の世界について

何も語っていないし、原始仏教は宗教というより実践哲学で

あると確信し、また浄土真宗についてはインドから

中国に伝わった際に、古代キリスト教のネトリウス派が景教となり

浄土真宗の親鸞も京都西本願寺に保管されている「世尊布施論」を読んだという説もあります。

また、ネットには「浄土真宗とキリスト教の異常な親和性に関する疑問。」

というQ&Aもあります。

個人的には、神が人間になられて歴史上の人物として記録が残っていること、

対して阿弥陀仏はそうではないことからイエス・キリストを信じるようになりました

 

キリスト教放送局FEBCのコーナー

御足の跡を11/14

小池与之祐(日本基督教団神の愛キリスト伝道所牧師)で

リスナーの手紙からで私が送ったメールが紹介されました!

こちらからお聴きください<(_ _)> ⇒ 「御足の跡を」

 

11月21日(水)は午後7時半から定例の祈祷会でした。

今回は牧師夫妻と男性信徒と私の4人でした。

 

聖書輪読。

 

ローマ人への手紙より

6:1
では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。

6:2
断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。

6:3
それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

6:4
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

6:5
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

6:6
わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

6:7
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

6:8
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

6:9
キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

6:10
なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

6:11
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。

6:12
だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、

6:13
また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

6:14
なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

6:15
それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。

6:16
あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

6:17
しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、

6:18
罪から解放され、義の僕となった。

6:19
わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。

6:20
あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。

6:21
その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とするようなものであった。それらのものの終極は、死である。

6:22
しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。

6:23
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

Wikisourceより

 

 ⇒ 黒部バプテスト教会

 

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今日の聖書通読箇所

旧約聖書 ヨシュア記第1章・2章

新約聖書 テサロニケ人への第二の手紙第1章・2章

 

主の祈り(新改訳聖書)

天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。

 

使徒信条


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。
アーメン

 

 

中高生会は月一度行っています

日曜日
10:30~ 主日礼拝
 (子どものクラスもあり)
14:00~ ジョイキッズ
希望者に夕礼拝を行っています
 
月曜日
希望者に礼拝を行っています
 
火曜日    
水曜日
20;00~ 祈祷会
 
木曜日
14:00~ レディース
 
金曜日    
土曜日
月1回 スイーツの会をしています