仏教から基督へ―溢るる恩寵の記 (1957年) 仏教から基督へ―溢るる恩寵の記 (1957年)

 

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「なぜ仏教からキリスト教へ」改宗したかを記しておきます。

私は元々浄土真宗の家に生まれましたが、

親鸞聖人に関する本や、阿弥陀仏の本願について

調べているうちに、浄土真宗以前に仏陀は死後の世界について

何も語っていないし、原始仏教は宗教というより実践哲学で

あると確信し、また浄土真宗についてはインドから

中国に伝わった際に、古代キリスト教のネトリウス派が景教となり

浄土真宗の親鸞も京都西本願寺に保管されている「世尊布施論」を読んだという説もあります。

また、ネットには「浄土真宗とキリスト教の異常な親和性に関する疑問。」

というQ&Aもあります。

個人的には、神が人間になられて歴史上の人物として記録が残っていること、

対して阿弥陀仏はそうではないことからイエス・キリストを信じるようになりました

 

 

11月7日(水)は午後7時半から定例の祈祷会でした。

今回は牧師先生と男性信徒と女性信徒私の4人でした。

 

映画『パウロ 愛と赦しの物語』が好評らしいです。

富山ではまだ上映されていませんが、お近くで上映されていれば

観に行かれてはいかがでしょうか。

 

 

聖書輪読。

 

ローマ人の手紙より

5:12
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

5:13
というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

5:14
しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。

5:15
しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。

5:16
かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。

5:17
もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。

5:18
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。

5:19
すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

5:20
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

5:21
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

詩篇より

第23篇
 

1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。

3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

6 わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

Wikisourceより

 

 ⇒ 黒部バプテスト教会

 

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今日の聖書通読箇所

旧約聖書 ヨシュア記第1章・2章

新約聖書 テサロニケ人への第二の手紙第1章・2章

 

主の祈り(新改訳聖書)

天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。

 

使徒信条


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。
アーメン

 

 

中高生会は月一度行っています

日曜日
10:30~ 主日礼拝
 (子どものクラスもあり)
14:00~ ジョイキッズ
希望者に夕礼拝を行っています
 
月曜日
希望者に礼拝を行っています
 
火曜日    
水曜日
20;00~ 祈祷会
 
木曜日
14:00~ レディース
 
金曜日    
土曜日
月1回 スイーツの会をしています