神崎「先生、毎回思うのですが…」
諏訪「うん?」
岩田「いつも一週間以上経ってから、ブログ更新しているのは、調べておるからかの?」
諏訪「いや、違う。 すでに史料はまとまってるよ」
ケン太「だったら、とっとと更新しようよ」
…
諏訪「さて、今回は(織田備後守敏信)についてだね」
神崎「前回、敏信は織田家の歴史を考える上で『踏み絵』と…」
ケン太「どゆ事?」
諏訪「うん?」
岩田「いつも一週間以上経ってから、ブログ更新しているのは、調べておるからかの?」
諏訪「いや、違う。 すでに史料はまとまってるよ」
ケン太「だったら、とっとと更新しようよ」
…
諏訪「さて、今回は(織田備後守敏信)についてだね」
神崎「前回、敏信は織田家の歴史を考える上で『踏み絵』と…」
ケン太「どゆ事?」
諏訪「その前に、敏信の家系図を明示しようか」
【織田伊勢守(岩倉系)家系図Ⅰ】
敏信━信安━信賢
ケン太「…あれ?」
岩田「何か…気づいたかの?」
神崎「いや…、信安と信賢親子は、信長の若い頃の人たちですよね?」
諏訪「そうだね」
ケン太「でも、信安の父敏信の『敏』って…」
諏訪「そう! まさにそこが問題なんだ!!」
ケン太「うわっ、ビックリした」
【織田伊勢守(岩倉系)家系図Ⅰ】
敏信━信安━信賢
ケン太「…あれ?」
岩田「何か…気づいたかの?」
神崎「いや…、信安と信賢親子は、信長の若い頃の人たちですよね?」
諏訪「そうだね」
ケン太「でも、信安の父敏信の『敏』って…」
諏訪「そう! まさにそこが問題なんだ!!」
ケン太「うわっ、ビックリした」
岩田「江戸期の織田家系図を見ると、全て(敏信は大和守敏定の子で信安の父)という位置づけになっておる」
【織田伊勢守(岩倉系)家系図Ⅱ】
敏定━敏信━信安━信賢
神崎「『敏』は、父とされる大和守敏定から譲られた…という解釈ですね」
諏訪「ところが『敏』の偏諱は、先代の主君斯波義敏の一字だから、勝手には譲りにくい」
ケン太「主家を蔑ろにする行為だから?」
諏訪「そう。 しかも敏定が明応四年(1495)に没した時、斯波義敏はまだ存命だ」
【織田伊勢守(岩倉系)家系図Ⅱ】
敏定━敏信━信安━信賢
神崎「『敏』は、父とされる大和守敏定から譲られた…という解釈ですね」
諏訪「ところが『敏』の偏諱は、先代の主君斯波義敏の一字だから、勝手には譲りにくい」
ケン太「主家を蔑ろにする行為だから?」
諏訪「そう。 しかも敏定が明応四年(1495)に没した時、斯波義敏はまだ存命だ」
岩田「さらに前々回にも書いたが、斯波義敏は家中に嫌われておったから…」
神崎「あえて『敏』の字を隠居の義敏から貰うとも考えにくいと?」
神崎「あえて『敏』の字を隠居の義敏から貰うとも考えにくいと?」
ケン太「…すると織田敏信は、斯波義敏から直に一字拝領した世代だと?」
諏訪「うん、まずは敏信が斯波義敏から『敏』の一字を受けられる時期を考えてみようか」
享徳元年(1452) 斯波義敏、義健の跡を継ぎ斯波家総領となる
長禄三年(1459) 長禄合戦に敗れ、子の松王丸に家督を譲る
文正元年(1466) 斯波義廉から家督を奪い返す
文明七年(1475) 越前で朝倉孝景に敗れ、京に送り返される
(この頃より、子義良が前面に出てくる)
岩田「ついでに、義敏の子斯波義良の略歴も書こうかの」
文明四年(1472) 元服して、『義良』を名乗る
文明十五年(1483) 清洲に入城
文明十七年(1485) 家督を継ぎ、『義寬』を名乗る
諏訪「うん、まずは敏信が斯波義敏から『敏』の一字を受けられる時期を考えてみようか」
享徳元年(1452) 斯波義敏、義健の跡を継ぎ斯波家総領となる
長禄三年(1459) 長禄合戦に敗れ、子の松王丸に家督を譲る
文正元年(1466) 斯波義廉から家督を奪い返す
文明七年(1475) 越前で朝倉孝景に敗れ、京に送り返される
(この頃より、子義良が前面に出てくる)
岩田「ついでに、義敏の子斯波義良の略歴も書こうかの」
文明四年(1472) 元服して、『義良』を名乗る
文明十五年(1483) 清洲に入城
文明十七年(1485) 家督を継ぎ、『義寬』を名乗る
ケン太「という事は…
義敏から『敏』を受けられる期間
1452~1459、1466~1475
義良から『良』を受けられる期間
1472~1485
…という事だね」
義敏から『敏』を受けられる期間
1452~1459、1466~1475
義良から『良』を受けられる期間
1472~1485
…という事だね」
諏訪「もっとも、政敵斯波義廉の『廉』の一字を残している斯波家中が見当たらない事から…」
岩田「義廉が斯波家総領だった時代に元服した人も、後に改名した可能性はある」
岩田「義廉が斯波家総領だった時代に元服した人も、後に改名した可能性はある」
神崎「いずれにしても、1452~75年辺りが、『敏』の一字を拝領できる時期なんですね?」
諏訪「もう一つ、ヒントがある」
ケン太「へ?」
岩田「万里集九という禅僧の詩集『梅花無尽蔵』では、文明十七年(1485)、清洲の敏信宅に呼ばれた際の記録が残っておるが…」
ケン太「へ?」
岩田「万里集九という禅僧の詩集『梅花無尽蔵』では、文明十七年(1485)、清洲の敏信宅に呼ばれた際の記録が残っておるが…」
尾之清洲城備後敏信第犬追物、八日、犬巳超縄箭各飛、長保髯検見有天機、勿論遠近疏南北、八以前三百疋時…
諏訪「ここで万里集九は、敏信に『髯』…すなわち長い頬のヒゲを特徴として見ている」
神崎「…って事は、あまり若くなさそうですね」
諏訪「仮に30歳なら1456年生、無論それ以上なら『敏』の一字を受けられる世代だね」
神崎「…って事は、あまり若くなさそうですね」
諏訪「仮に30歳なら1456年生、無論それ以上なら『敏』の一字を受けられる世代だね」
ケン太「…ちなみにさ」
諏訪「うん?」
ケン太「息子の信安はいつの生まれなの?」
岩田「よく判っておらん」
神崎「えっ?」
諏訪「だがヒントはある」
諏訪「うん?」
ケン太「息子の信安はいつの生まれなの?」
岩田「よく判っておらん」
神崎「えっ?」
諏訪「だがヒントはある」
ケン太「ヒント?」
諏訪「ああ、後に信安の子信賢が、旧家臣筋だった山内一豊を頼って土佐に行き、同地で没した時、慶長十六年(1611)で享年78歳だったとしている」
ケン太「って事は…え~と…え~~と…」
神崎「天文三年(1534)生。 信長と同年ですね」
諏訪「ああ、後に信安の子信賢が、旧家臣筋だった山内一豊を頼って土佐に行き、同地で没した時、慶長十六年(1611)で享年78歳だったとしている」
ケン太「って事は…え~と…え~~と…」
神崎「天文三年(1534)生。 信長と同年ですね」
岩田「それの父じゃから…信長の父織田信秀らと、さほど変わらない可能性があるの」
諏訪「もう一つヒント。 蜂須賀正勝の家臣稲田植元の正室は信安の孫だが、寛永十八年(1641)まで生き、96歳で没している」
ケン太「って事は…え~と…え~~と…」
神崎「天文十五年(1546)生。 武田勝頼と同年ですね」
諏訪「もう一つヒント。 蜂須賀正勝の家臣稲田植元の正室は信安の孫だが、寛永十八年(1641)まで生き、96歳で没している」
ケン太「って事は…え~と…え~~と…」
神崎「天文十五年(1546)生。 武田勝頼と同年ですね」
岩田「ケン坊は計算が遅いのぅ」
ケン太「う、うるさいな…」
ケン太「う、うるさいな…」
諏訪「1534年生の嫡男と、1546年生の孫娘がいるとなると…」
岩田「1500年代の一ケタ世代(1500~1509)辺りじゃろう」
諏訪「参考になるかは不明だが、江戸末期に刊行された『尾張名所図会』では、信安は天正十九年(1591)に、85歳で没したとあるね」
ケン太「って事は…え~と…え~~と…」
神崎「永正四年(1507)生。 大内義隆と同年ですね」
岩田「ケン坊…、算数は計算機に頼ってばかりじゃから、そうなるんじゃぞ」
ケン太「う、うるさいな…」
神崎「う~ん、1485年に頬髭生やした敏信と、1507年に生まれた信安が…親子…」
ケン太「歳の差ありすぎでしょ」
ケン太「う、うるさいな…」
神崎「う~ん、1485年に頬髭生やした敏信と、1507年に生まれた信安が…親子…」
ケン太「歳の差ありすぎでしょ」
岩田「江戸時代の人も、そう考えたんじゃろう」
諏訪「だから、例えば【寛永諸家系図伝】などは、敏信を敏定の子にして、信長の祖父信定と兄弟…という扱いにしたんだろうね」
【寛永諸家系図伝・織田家系図】
久長
┃
敏定
┣敏信━信安━信賢
┗信定━信秀━信長
ケン太「そろそろ、前回の話に戻ろうよ先生」
諏訪「そうだな… 織田敏信は織田弾正家の人間だとしたら…
【織田弾正忠系図】
直信━○○━良信━信定━信秀━信長
…の、○○の部分に入るか?だが…」
ケン太「入るの?」
諏訪「入らないと思う」
ケン太「ありゃりゃ…」
諏訪「直信が、仮に病中の常松に侍った織田弾正なら、1400年代の一ケタ生まれになる」
神崎「信安のほぼ100歳上ですね」
ケン太「敏信は、直信とも信安とも歳が離れすぎている存在なんだね」
岩田「敏信・信安親子も、50歳ほど離れている事になるが、それが2代続くとは思いにくいの…」
神崎「って事は、良信と兄弟という事ですか?」
諏訪「だが、斯波義敏から一字『敏』を拝領している以上、嫡男でなくてはおかしい」
ケン太「ありゃりゃ…」
諏訪「直信が、仮に病中の常松に侍った織田弾正なら、1400年代の一ケタ生まれになる」
神崎「信安のほぼ100歳上ですね」
ケン太「敏信は、直信とも信安とも歳が離れすぎている存在なんだね」
岩田「敏信・信安親子も、50歳ほど離れている事になるが、それが2代続くとは思いにくいの…」
神崎「って事は、良信と兄弟という事ですか?」
諏訪「だが、斯波義敏から一字『敏』を拝領している以上、嫡男でなくてはおかしい」
ケン太「敏信生きているのに、弟の良信が嫡男とは考えにくいよね」
諏訪「一応、弾正忠家を廃嫡された兄…という考え方は、できるかもしれないが…」
諏訪「一応、弾正忠家を廃嫡された兄…という考え方は、できるかもしれないが…」
岩田「…敏信の戒名はどうなんじゃ?」
諏訪「ああ、忘れていた。 敏信は『龍潭寺殿清巌常世大居士』という名で葬られている」
神崎「『清巌』…、弾正忠家に間違いないようですね」
諏訪「ちなみに法名は『常世』だけど、史料によっては『常也』だったり『常巴』だったりするが…」
ケン太「するが…?」
諏訪「単なる字の書き間違いらしく、系図ではどちらか判らずに、『世』とも『巴』とも読める文体で書いていたりして、当時の人の苦悩が窺い知れるよ」
ケン太「まったく迷惑な家系だね、織田家って…」
岩田「一応、推定ながらの系図も掲載しておこうかの?」
諏訪「そうだね」
【織田弾正忠家系図(推定)】
直信
┃
○○
┣敏信━━━━信安━信賢
┗良信━信定━信秀━信長
ケン太「大体、見えてきた感じかな?」
諏訪「そうだな… 次回で一旦、このテーマは締めようか」
~続~
諏訪「ああ、忘れていた。 敏信は『龍潭寺殿清巌常世大居士』という名で葬られている」
神崎「『清巌』…、弾正忠家に間違いないようですね」
諏訪「ちなみに法名は『常世』だけど、史料によっては『常也』だったり『常巴』だったりするが…」
ケン太「するが…?」
諏訪「単なる字の書き間違いらしく、系図ではどちらか判らずに、『世』とも『巴』とも読める文体で書いていたりして、当時の人の苦悩が窺い知れるよ」
ケン太「まったく迷惑な家系だね、織田家って…」
岩田「一応、推定ながらの系図も掲載しておこうかの?」
諏訪「そうだね」
【織田弾正忠家系図(推定)】
直信
┃
○○
┣敏信━━━━信安━信賢
┗良信━信定━信秀━信長
ケン太「大体、見えてきた感じかな?」
諏訪「そうだな… 次回で一旦、このテーマは締めようか」
~続~