はじめまして。

法学部政治学科3年の中田りさと申します。まずは、細谷ゼミに興味を持ってくださり、ゼミ生ブログへアクセスして頂いたこと本当に嬉しく思います。有難う御座います。

 

 私のブログでは、入ゼミしてから約8ヶ月の月日が経ち、細谷ゼミ16期生として過ごした日々を振り返って、今自分の思うことを素直に綴ってみようと思います。というよりは、私のスマホのカメラフォルダに屈託ない笑顔を刻む16期生のみんなに思いを馳せていると、自然と綴りたくなる、そんな思いかもしれません。簡明な入ゼミ課題の攻略法を求めてこのブログをご覧になっている方には幾分退屈な内容かもしれませんが、宜しければ最後までお付き合い下さい。

 

 「和する場所」

細谷ゼミはどのような雰囲気ですか?と聞かれたらこの表現が一番に思い付きます。春学期のゼミ活動を経て、夏合宿のコンパなどで同期みんなが口を揃えていたことが、水曜日のゼミ活動の時間が毎週の楽しみであり、忙しない日々のオアシスであったということです。多種多様な場所に所属し、日々アグレッシブに生きる人が集う細谷ゼミでは、相当なバイタリティをもってゼミと課外活動を両立している人が多くいます。中には所属するコミュニティで責任職を担っており常に肩の荷が下りないといった人や、体育会やサークルにて日々ハードな練習をこなしていて物理的に肩が重いといった人もいます。そんな同期のみんなも、そして私もこの場所へ来ると自然と和やかな気持ちになれるのです。「和する」という表現を採用し、このブログを通して、心を和らげる・和ませるといういささか特殊な効用がある細谷ゼミという組織のからくりを明らかにしていくことにしましょう。

 

 「調和する」という意味合いから 〜八畳一間に集結する光る個性〜

「多様性」というのは細谷ゼミならではの魅力であると思います。私も細谷ゼミが謳う「多様性」に惹かれて入ゼミを志したうちの1人です。漠然とした「多様性」への憧れでしたが、実際にゼミで多くの時間を過ごしていくうちに多様性のその先にある「調和」に気付くことになりました。様々なバックグラウンドを持ち、個性溢れるゼミ生が調和している状態とは、みんなが方向性を同じくしていて、均一で、まとまりのある状態をイメージするかもしれません。しかし全くそういうわけではないのです。夏合宿の最終日、同期でなんとなく一つの部屋に集まろうということになり、八畳一間くらいの部屋で思い思いの時間を過ごすみんなの姿を見た時が、最も「らしさ」を感じた瞬間であったような気がします。合宿らしく恋バナで盛り上がる人、最終日くらい好きなだけお酒を飲んでバカになろうという人、あまりの人口密度に読書との親和性は低いにも関わらず黙々と本を読む人、別の所属先の合宿に向けて体力を温存すべく健やかに眠る人、ついさっきまで熱くゼミ愛を語っていたかと思えば突然、意気揚々と散歩へ繰り出す人。まとまりなど糞食らえと言わんばかりの奔放ぶりでしょう。今これを読んでいる皆さんの頭の中にはカオスと表現するしかない情景が浮かんでいるのだろうと思います。細谷ゼミでは各々が異なる目標、目的を持って集い、異なる価値観や思考に基づいて行動しています。けれどもそのことによってかえって個々が主体性を発揮させられるというのが、細谷ゼミの最大の特徴です。八畳一間くらいの狭い空間にぎゅっと凝縮された光る個性の調和、これが私の思う細谷ゼミです。ゼミへのコミットの度合いやゼミという空間での振る舞いを各人の裁量に委ねるという文化があるからこそ、個々の光る才能が生きるのだと思います。各議題、各イベント、16期生の中で活躍する人はいつも違います。光る個性が調和し、秩序を保つことが出来ているのは、互いを尊重し協調しようというゼミ生1人1人の姿勢によるということは言うまでもありません。しかしそれだけではなく、”細谷ゼミ16期生である”というわざわざ言葉にするまでもない当たり前の権利を放棄しようという人が誰1人としていないこと、これは更に重要なことだと思います。回りくどい言い方をしてしまいましたが、自分自身の得意分野において個々がしっかりとゼミに貢献し、ゼミという場所に自身のアイデンティティを確立しながら、絶対的に細谷ゼミの一員であろうとする熱意、というとお分かりいただけるでしょうか。これは帰属意識ともまた少し違うような気がしていて、より持続可能な、ゼミ活動の推進力となるようなものです。細谷ゼミの一員であろうとする気概が、同じく細谷ゼミ生として生きる他人を認め、ひいては人一倍の熱意を持つ自分を細谷ゼミ生として認めるということを以て調和を実現する原動力であり、先ほど述べた「らしさ」の根源にあるもので細谷ゼミの本質だと思います。最後に「八畳一間」という表現について少し触れておくと、ゼミの他にも多く輝ける場所を持っていて、キャパシティの広さと人間力の高さも慶應随一である細谷ゼミ生は、その光る才能を買われていつ何時他の場所に行ってしまってもおかしくないような人たちの集まりです。そうであるにも関わらず、数々のゼミ生が細谷ゼミの魅力として言及する「謙虚さ」によって、変わらずゼミに多くのエネルギーを向けてくれます。よくも悪くもいつも内輪でぎゅっとなってしまうようなそんなところもあるのです。八畳一間くらいの部屋に集まって過ごすみんなの姿を見たときに、ほっこりあたたかく、この空間を私がずっと守り続けたいという気持ちになったということはここだけの秘密です。

 

 「相応じる」ということ 〜未来の17期生について細谷先生からの問いかけ〜

細谷ゼミを検討する際に、他ゼミを圧倒するその規模感に魅力を感じる人も多くいると思います。確かに同期が30人以上いるゼミは非常に珍しいでしょう。前述の通り、漠然とした「多様性」に憧れを抱いていた入ゼミ前の私も、他でもない細谷先生と未来の同期との出会いを1番に求めていました。自分と異なる考え方を持つ人に出会って、自分の中に新たな引き出しが増える瞬間というのが自分の成長を実感することが出来る、この上なく幸せな瞬間であると思っています。「出会う」ということは単に細谷ゼミに入り、同じゼミというコミュニティにいるということではありません。その人がどのような人生を生きてきて、どのような考え方を持っているか、というようなことが垣間見えた瞬間を人と「出会う」瞬間としているのであり、その瞬間がたまらなく好きだということです。いつか細谷先生とお話をしていた際に「未来の17期生としてどんな人に入ってきて欲しいか?」という問いかけを頂いたことがあります。ゼミは一つのコミュニティであり、人によっては一生ものの出会いを得る人がいるかもしれないこと、学年のカラーはそれぞれ異なるけれども、総じて受容性に富む学生を迎えたいと常々思っているということを先生は仰いました。細谷先生もゼミ生同士が「出会う」ということを非常に重視しておられるように思います。その人の為人を一番よく知ることが出来るのは人の言葉に触れる、その人と繰り返し話をするということだと思います。単に同じゼミに所属しているという関係に留まらず、30人を超える同期との「出会い」が実現したことについて、細谷ゼミの中核には「対話」があります。細谷先生をはじめ、とにかくおしゃべりな人が多いです。これまでの人生で数えきれない程、「口から先に生まれてきたの?」と聞かれてきた私が言うのですから間違いないと思います。また、入ゼミ課題にて自己紹介と記憶に残る5冊という項目を通して、自分史について10000字を書き切ることが出来る人たちの語彙力と思考力は並大抵のものではないということは想像に難くないでしょう。これは何気ない日常の会話だけではなく、ゼミ活動のディスカッションにも通ずるものですが、心地よい「対話」が生まれる理由はあたたかい呼応があるからです。個々人の呼びかけや問いかけに応えてくれる人が細谷ゼミには必ずいます。当たり前のように思えますが、実はとても重要な要素で、これは細谷先生のお人柄によって醸成される細谷ゼミ特有の雰囲気であるといえると思います。細谷先生はどのゼミ生にも分け隔てなくフランクにお話し下さり、どんなに拙い疑問にも真摯にお答え下さいます。想像も出来ない程忙しい日々を送りながらもゼミ生との「対話」を惜しまない、愛のあるお人柄です。限りなく多くの学生に学ぶ機会を与えるべく、ゼミへの門戸を開いてくださる細谷先生のご意向はまさしく国際政治という学問への興味、ゼミというコミュニティへの展望を抱く、若き血の通う学生への呼応であると感じるのです。

 

 「和・輪」を体現する 〜輪になって座りそこから見える東京タワー〜

 人と「出会う」ことを通して共通項を発見することは非常に魅力的で有意義なことです。特段、これが好き!これが嫌い!というような価値観のマッチングは胸が高鳴るようで、印象深く刻まれることが多くあります。それは人生に潤いをもたらしてくれる貴重な出会いとなるかもしれません。大学に入って2年の時が経ち、心機一転、ゼミという新たな場所へいざ挑戦しようという皆さんはきっと大きな期待を寄せていることでしょう。春学期のゼミ活動後の時間、ほとんど毎週欠かさずに同期みんなで食事に行こうという流れがありました。企画係のみんなが率先してお店を探してくれたり、15期生の先輩が細谷ゼミ行きつけのお店を教えて下さったり、毎週新鮮な場所やメンバーに心を躍らせていたことをブログ執筆中の私はふと懐かしく思い出しました。今では見慣れた顔ぶれで肩を並べて向かう16期生行きつけの居酒屋があります。まだ暖かかった春学期の放課後には、誰からともなく言い出して、芝公園まで歩いて行き、めいめいの好きなものを食べながら話をするということもしばしばありました。芝だけに。え。ごめんなさい。ブログの内容に頭を捻り過ぎて私の中の関西人がとうとう顔を出してきました。いつもはこんな荒いボケは絶対にしません。酔っ払うと出るいささか鋭すぎる私のツッコミも寛容に受け入れてくれる16期生のみんなに免じて、どうかお許しください。気を取り直して。芝公園に行く日は何故かいつもよりみんなの足取りが軽いような気がして、普段はあまり多くを話さない人も、気持ちの良い夜風とあまりの輝きを放つ東京タワーの影響か、いつもより饒舌になっているような気がして。輪になって座り、誰からともなく東京タワーを見上げてみたりするのです。なんとなく特に理由もないけれど、この雰囲気が好き、この空間に好感を抱くというような感性の共鳴があったような気がします。言葉にするまでもない些細な感性が合う、似ているということに嬉しくなる瞬間が癖になる感覚とでもいいましょうか。細谷ゼミで過ごす毎日は衝撃的な共通項の発見というよりはむしろ、ささやかな感性の共鳴に基づくほんの小さな幸福感で溢れているように思います。どんな人でもその場所に少なからぬ愛着を持って居場所を見出そうという人が好きで、どんな人にも興味関心を持って接し、受容しようというあたたかさがある人が好きです。実際に細谷ゼミという場所はそんな場所であると感じます。だから端から「向いている人」を定義するという考え方を私はあまり好きではありません。しかし強いて言うなら細谷ゼミに向いている人は、こんな人なのではないかなと私は思うのです。ささやかな感性の共鳴を期待して過ごし、その感情を素直に嬉しいと思える、そんなような人がゼミ活動と細谷先生から1番多くのことを吸収でき、細谷ゼミでの日々を1番満喫することが出来る人なのではないでしょうか。

 

冒頭に申し上げると幾分ハードルが上がってしまうかと思い割愛しましたが、私のブログでは細谷ゼミで過ごした日々を振り返ってエッセイ風にしてお伝えできればと思い、ここまで言葉を紡いでみました。いかがでしたでしょうか。出会って半年強とは思えない程沢山の素敵な思い出で溢れているのですが、いざ細谷ゼミについて語ろうと思って張り切って筆を取れば、特段写真に残すでもないなんてことない些細な瞬間が不思議と思い出されるものです。大切にしたい瞬間というのは意外とささやかな日常に散りばめられているということを実感するに至りました。私にとってこれらの瞬間は須く出会うべき場所、人、感情であったと思います。

 

ここまで私のブログをお読み頂いて、最後に皆さんにお伝えしたいことはこのブログ自体が入ゼミ課題の攻略法である、ということです。というのも、内容についてはまず皆さんのお好きなように書いて頂ければ良いかと思います。ここまで、私が細谷ゼミについて思うことを自由に綴っているのと同じように、皆さんもこれまでのご自身の人生を振り返って今、思うことを素直に書いて欲しいということです。それは自己紹介と記憶に残る5冊の項目に限らず、書評論文に関してもある程度当てはまります。圧倒的な課題図書の難易度に対して知識量が不足していることなどごく当たり前です。最低限の事実確認をし、論理性の担保さえ叶っていれば、課題図書を読んで考えたことを、自分の頭の中を言語化するイメージで、お好きなように綴ってみて下さい。後は、人に読んで貰う文章であるということを意識することくらいでしょうか。また個人的には自分らしい言葉選びも重要であるように思います。「性格は顔に出る、生活は体に出る」というなら私は「信条は言葉に出る」と思います。是非、これらのことを頭の片隅において入ゼミ課題に取り組んでみて下さい。面接も同様、自然体で、飾らず。当時の私は金髪でしたし、服装もほとんど普段と変わらぬ私服で臨みました。きっとこれを読んでいる皆さんの多くにとって恐れ多くも憧れであったり、特別な存在であったりするであろう細谷先生が他でもない自分自身について質問をして下さるというまたとない機会を是非、堪能してきて下さいね。

 

1年前の私たちが頭を悩ませていたように、一癖も二癖もある高難度の入ゼミ課題にいざ取り組もうという勇ましい未来の細谷ゼミ生へ最大限のリスペクトを込めて。