馴染みのプレイリストで桑田佳祐の『白い恋人達』が流れて、今年もまたクリスマスが近いのかと思い出されます。街がクリスマスへ向けて温かみを増す一方で、私の心はひんやりと冷たくなっていきます。なんででしょうね。そんな寒さから逃れるためにふとした思いつきで元日からベトナムに逃避することにしました。

 

気を取り直してみなさまごきげんよう。細谷ゼミ16期の岡村優陣と申します。生まれは静岡で育ちは横浜です。代表とは同郷ということもあり、ジモトークでしばしば盛り上がります。

 

学外では模擬国連日吉研究会に所属しており、細谷ゼミ同様、国際問題について主に国連を舞台に日々議論を交わしておりました。ゼミブログの依頼が来た時、年々早く感じる一年の周期に驚嘆すると共に、ここまでの他の16期のブログの完成度に戦々恐々としております。これはあきひこも同じようなことを書いていたと思うのですが、16期の作り上げるそれぞれのブログを読むたびに、普段あまり面と向かって聞くことができない皆の16期への愛を感じることができ、最近の何よりの楽しみとなっています。

 

何を隠そう、私は16期の大ファンです。箱推しです。一人一人が粒揃いであり、それぞれのことも語り尽くせぬほど好きなのですが、何より16期全体で集まった時のほんわかした雰囲気が大好きです。尊敬してやまない15期副代表のひまりさんがゼミの開講日である水曜日を「わたしたちのもの」と表現していましたが、まさしくその通りです。463教室に入る前のロビー、報告と討論の間の休憩時間、ゼミ後の教室での無駄話、18:00を少し過ぎた薄暮れ、みんなと通る仲通り、いつもの居酒屋、それら全ての瞬間瞬間をひっくるめて「わたしたちのもの」であるとひしひしと感じます。

 

さて、話が少々横道にそれてしまいました。本ブログでは主に、以下の2点についてお話できたらと思います。エリカ同様、私もゼミブログのみに頼って乗り切ったこともあって、また、16期が大好きすぎて感謝の思いを持ってつらつらと書いていたら、いつの間にか超長文になってしまいました。みんなごめんなさい。でもぜひブラウザバックすることなく読み切って欲しいです。

 

①怒涛の追い込みゼミ課題〜締切5日前に細谷ゼミの存在を知った君でも大丈夫〜

②比類なき16期〜大学での稀有で貴重な関係性〜

 

①怒涛の追い込みゼミ課題〜締切5日前に細谷ゼミの存在を知った君でも大丈夫〜

なんだこのタイトル、と思ったそこのあなた。5日前ってなんだよそれと思ったそこのあなた。偉いです。きっとあなたは12月の段階で少なくともしっかりとゼミ生ブログに目を通し、課題図書の存在、15000字のゼミ課題の存在も理解しているのでしょう。それだけで十二分に及第点です。

 

大変お恥ずかしながら、私は細谷雄一という国際政治学者は以前から知っていたものの、細谷ゼミが慶應法学部政治学科で開講されていることを締切1週間前まで知りませんでした。またそもそも、3年になると多くの学生がゼミ選びで悩むという点も直前まで十分に理解していませんでした。そんな私がいかにして細谷ゼミの存在を知り、いかにして課題を切り抜け、いかにして入ゼミすることができたのかを書いていきたいと思います。なお、効率の良い課題の進め方という点では、直前の追い込みに追われている方だけではなく、12月からコツコツと準備を進められている方にとっても有益だと思いますので是非参考にしていただけると幸いです。

 

私は学外で模擬国連という国際系団体に所属していたこともあって、以前から国際関係に一定の興味関心は持っておりました。しかしながら、学業や日々の生活には無頓着で、地元の友達や模擬国連で知り合った友達とだらだらと過ごし、大学2年間は飛ぶように過ぎていきました。大学のイベントにもほとんど関心がなく、ゼミ説明会やオープンゼミなどの存在も知りませんでした。1月に入り、成人式の忙しい期間を終え期末期間に差し掛かろうとした時、友人とのひょんな話からゼミの話題になり、彼らそれぞれ志望するゼミがあること、そして、多くの場合入ゼミ課題があることを知りました。そこで焦った私は、取り敢えずネットで「慶應法政 有名ゼミ」と検索をかけ、一番上に出てきたYahoo知恵袋をクリック。その中に出てきた”細谷ゼミ”という単語が私のゼミとの出会いでした。細谷先生のご高明は以前から知っており、論文もいくつか読んだことがあったため直感で細谷ゼミを選択、そこからは膨大な量の課題との格闘の日々が始まりました。

 

ただ、課題に手をつけた時点で締め切りまで残り5日、加えて期末試験の勉強もほとんどしていない。もう覚悟を決め、背水の陣で臨むほかありませんでした。当時のカレンダーには、1月の21,22で自己紹介文と記憶に残った本5冊の執筆をし、23は友達の引っ越しの手伝い&送別会、24で課題図書を読み、25で執筆&提出というスケジュールが残っていました。今考えると本当に追い込まれていました。

 

まずは自己紹介文。これに関しては、生まれてから今までの印象深い出来事を列挙し、それらを軸にひたすらに自分史を書ききりました。その中で特に注意したのが、成功体験と挫折のバランス。人間誰しも過去を美化してしまうもので、案外幼少期のことを思い出そうとすると、美点を多く並べてしまいがちだと思います。もちろん自分という人間を表現する上で、これまでの実績を含めるのは重要なことですが、多くのゼミ生がブログに書いているような、そして、細谷先生が求める”飾らない”自分を表現する上で、失敗や挫折からどのようなことを学び、今の自分が形作られたかを書くことは実績や肩書きを並べるよりも、もっともっと重要なことであるように思います。

 

次に記憶に残った5冊。今まで読んだ本の中で、実際どの本が印象に残ったかをじっくりと時間をかけて精査する時間はなかったので、私は自己紹介の中で書いた自分史において、それぞれの年代で当時自分が読んでいた本を一冊ずつ挙げることにしました。この点において、自己紹介で自分自身の過去に対する解像度を上げたのちに、記憶に残った5冊を選ぶという流れは非常に良かったように思います。全く参考にならないとは思いますが、一例までに私の5冊も挙げておきます。

 

1.『21世紀こども百科 もののはじまり館』

2.『葉っぱのフレディーいのちの旅ー』

3.『容疑者Xの献身』

4.『諸説世界史研究』

5.『国連安保理改革を考えるー正統性、実効性、代表性からの新たな視座ー』

 

ね。参考にならなかったでしょう。図鑑に絵本、小説に参考書と、ジャンルも内容もまるでバラバラ。国際政治の分野に関連する本はせいぜい5くらい。しかしながら、自分という人間を表現するにはこの5冊が最適だったように思います。というのも、変に高校や大学時代に読んだ、いわゆる読んでいて”かっこいい”本や、国際政治系のゼミを志すからと言って読んだ付け焼き刃のような本では自分という人間に関連させた素直な感想や得られた教訓が引き出しにくく、あらすじの要約に終始してしまうことが予想されるからです。その点絵本や図鑑は原体験の源であり、十数年前に読んだきりのはずなのに、一度感想を書き始めると止まることなく思い出が溢れてくる。こうした本のチョイスのおかげで、締め切りまでの大幅な時間削減ができました。直前でどの本を選べばよいか悩んでいる人は、ジャンル問わず、たくさん感想を紡げそうな本を選択してみると良いかもしれません。必ずしも「心に残った」必要はないと思います。

 

最後に書評論文。最大の難敵です。多くの人は前々から本を読み、文章に対しても何度も推敲を繰り返して完成まで持っていくのが定石かと思います。しかし締め切り1日前に本を読み始めた私は、通常通りの準備ではどう考えても時間がかかりすぎてしまうと考えました。そこでなんとか効率よく進めるために、行く末が曖昧な点や筆者の主張のみにフォーカスし、論理を展開するという手法を取りました。もうすでに今年度の課題図書は発表されていると思いますが、例年通りであれば、多くの場合新書が選定されていることと思います。その場合、事実ベースでの記述が続き、退屈することも多いですが、どこかで必ず章を分けてそうした事実に対する筆者独自の論理や見識に基づいた分析や、未来への展望がなされていることと思います。そうした点に対してなるほどなるほどとただ首肯するのではなく、オープンドクエスチュンと捉え、さまざまな視点から自分の主張を積み上げていくと、自然と論理性の伴った文章になりますし、文字数も自然と増えていくことと思います。また、他のゼミ生も書いているように、ここで求められているのは指摘の鋭さ、的確さではなく、自分の問題意識に伴った主張をしっかりと5000字書き切ることだと思います。だからこそ正解に捉われずに淡々と書き進めることがもっとも大切だと思います。

 

面接についてもちょこっと触れておくと、上下スウェットという緩い服装で行ったら前後2人がスーツで驚いたこと。前の受験者が15分近く面接していたのに、自分はたった3分で終わり、しかも細谷先生は終始目を閉じていて寝ていたのではということ。完全に落ちたと思って慶應仲通り入口の五右衛門でパスタをやけ食いしたことを残しておきます。自然体でいれば緊張していてもなんとかなるさ。

 

ここまで対策について長々と書いてきましたが、実際に去年の私が課題を提出したのは締め切りの1時間前、本当にギリギリでした。今ギリギリで頑張っている皆さん、人間、心さえ決まってしまえば後のことはどうにでもなります。頑張れ。
 

②比類なき16期〜大学での稀有で貴重な関係性〜

次に比類なき16期の素晴らしさについて語った上で、3年次からゼミという新しいコミュニティに属することの意義についてお話しようと思います。私が16期のことが大好きということは、序文で述べたとおりなのですが、特にどこが好きかと言われたら、間違いなく「謙虚さ」だと思います。ゼミにおいても、その他の日常生活の面においても、彼らは決して自分の能力を誇示することなく、いつも「謙虚」なのです。この謙虚さは、さまざまな面で潤いをもたらしてくれます。

 

例えばゼミでの議論中。みなそれぞれあらゆる分野に通暁していますが、その知識をみだりに誇示して議論をするのではなく、あくまで必要な時に必要な知識のみを引っ張ってきて柔軟に議論を行います。そして、人の意見を頭ごなしに否定したり、関係のない方向に議論を持って行ったりすることが全くもってない。皆が互いの意見を尊重し、わからない点は互いに対話することで解消しながら議論を深めていく。この知的な謙虚さは、細谷ゼミの議論に温和な雰囲気と洞察の鋭さをもたらす一番大きな要因になっていると考えています。16期の皆がこの謙虚さを持っているからこそ、自分も謙虚にひたむきにゼミに貢献しようと思える、そんな素敵なサイクルが生まれているように思います。

 

続いて、3年次からゼミというコミュニティに参加することの意義に関して。これは特に、大学生活において主たる所属組織を持たなかった人にこそ読んでほしいと思います。私は世の中の多くの大学で共通して形成されるであろう「友達」概念が非常に好きではありませんでした。クラスで過去問を交換してたまに話すだとか、サークルで1ヶ月に数回顔を合わせるだけとか、飲み会だけ来てその場きりだとか、まとめてしまえば「よっ友」というのかもしれませんが、そのような打算的で表層的な関係性が多く見られる大学での友人関係があまり得意ではありませんでした。そんなわけで大学での居場所はほとんどなく、慶應に対する帰属意識も全く持っていませんでした。そのような中でゼミに入ることは実際自分にとって大きなチャレンジでした。打算的な人だらけだったらどうしようとか、2年間表面上の関係が続いて終わりだったらどうしようとか。15000字を書いて、大学生活の後半2年を捧げるのですからそれなりの不安はありました。しかしながら、細谷ゼミに入ってその不安は全く持って杞憂であったことがすぐにわかりました。ゼミ活動の最初はいささか緊張しましたが、毎週活動を続けるうちに、「なんか知らないけども一緒にいる」存在に。加えて皆が国際政治という共通の学問分野に興味を持つものであるからこそ、自然と選択する授業も似通い、ますます顔を合わせるようになりました。いつ仲良くなったかなんて覚えていないけど、気づいたら大学での1番の居場所に、そんな自分の求めた関係性がそこにはありました。今あなたに所属がなく、宙ぶらりんな大学生活を送っているのならば、ぜひ細谷ゼミに挑戦してみるといいと思います。それだけの意義がこの細谷ゼミにはあると思います。

 

ここまで本当に長々と拙い文章を読んでいただき本当にありがとうございました。入ゼミ課題へのエールとゼミの魅力が少しでもお伝えできていたら幸いです。どんな17期に出会えるのか、私も今から本当にワクワクしています。Coraggio!!