私の古い記憶を辿る時、
身体の中の溜まってるなっていうところに意識を向けます。
苦しみが溜まってるところ。
苦しいところ。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
今は喉。喉を守って体がガチガチ。
いつもピーナッツが詰まってるみたいに、
何かが詰まって取れない。
なんだろうなと
自分に聞いてみる。
私に何を教えてくれてるの?
何をしまってるの?
何が苦しいの?
この感覚はいつからだろう、
似たような感覚の記憶を探る。
その記憶の場面に行く。
自分を観る
今の環境を作っているのは
私の無意識の投影。
無意識は思い込むものではなくて
刷り込まれた当たり前の価値観。
その価値観に沿って
私達はものを観て判断して
恐怖を回避して
幸せだなと思わせてる。
そうやって大人になってしまった。
自分の判断基準がその思い込みになります。
一瞬のコンマ何秒の人間の本能的反応の中でそれをやっている。
自分を守るため。
これ以上、傷つかないように。
その価値観は
小さい頃のまっさらな脳みそに刻み込まれている、強烈な記憶とか
悲しみとか喜びで刻まれてる。
![]()
![]()
![]()
子供のころ、
友達と遊んでいる時間が私の癒しだった。
その時間は家での寂しい気持ちを忘れさせてくれた。
外に出たかった。できる限り外に。
家ではやることがたくさんだった。
ぐちゃぐちゃになった洗濯物
汚い部屋、暗い大人のいない時間。
洗濯物を取り込んで妹に気を使い
お腹が空いてる時間。
宿題をやる時間もない。
お米をといで、洗い物もさせられた。
親がいる時間も母が隣の部屋でテレビを観てた。
私は暗い台所で洗い物をしてた。
笑い声が聞こえて
悲しくてなんで誰も助けてくれないんだろ
私が居なくても楽しそうなんだろうって
悲しかった。
誰も来なかった。
そんな生活だった。
だから、外にいる時間は楽しかった。
けど帰らなきゃ、怒られる。
そんな6歳児。
まるでシンデレラだね。
継母にこき使われるシンデレラ。
だから、私は外に出たいのか。
出たかったのか。
家ではした働き、ここにいたら一生誰かのお世話。灰かぶりだ。
その記憶、場面を思い出す。
もう大丈夫といいたいけど、胸と体の強張りが強くて動けなくなる。
苦しかった。
今はそう思うだけで、精一杯だ。
ありのままを認める。
それで動けないんだ。
ゆっくりやっていく。
私の中をゆっくりゆっくり癒していく。
一瞬で変わる訳ない。
それだけ傷ついているんだから。
動けなくなる理由、
帰れなかった理由、
言いたいことが言えなかった理由
ピーナッツが挟まった感覚
その深いところに当たったのだ。
みつけたよ。
今はその段階。
体が反応する。
ジワっとする、少しの反応が出る。
何十年もしまってきたんだから
ゆっくりお手当してあげる。
どうなるも、治すも、良くなるもない。
ああ、持ってたと思うこと。
気づくこと。
それだけでいいのです。
flora![]()
の要らない思い込みと魂のあるべき姿をみつける
私はガイドです。
あなたがみつけて
行動できる!
そんな鑑定をしています



