強迫性障害は、あるがままの自分ではなく、過去の言葉、イメージ、印象等を基に、形成されます。それらの影響から離れるためには、言葉によって定義付けしたり、イメージや印象を固定化しないことが大切です。

今ここにあるリアルな現実ではなく、後発的に生み出された障害に執着する必要はありませんが、特定の事象に対しては現実の代わりに幻想である観念や恐怖に執着して苦しくなります。対策として、観念や恐怖にまつわるものの名前やイメージや印象を外して、直接、外面や内面の実態を見ることが解消につながります。

直接外面や内面の実態をみるとは、苦しみ等を言語化、正当化、置換、非難、自己同一化、逃避をしないで、苦しみ自体をみつめ実感して、むしろ強調して味わうことです(苦しみを庇おうとすると閉じてしまう苦しみ自体の衝動を表出するためです)。

その様に普段やっている事の逆をやることで、障害が言葉やイメージや印象でない心身のある状態だと気づかされて心身が変化しますから(ある状態としての苦しみ自体によってではなく、苦しみに接続する言葉やイメージや記憶によって苦しんでいたことに気づかされますから)、後はこだわりや執着や力みを増やさない様に、ゆっくり呼吸したり自然体で過ごすと楽になれます。散歩等の軽い運動や趣味や課題等に没頭して、障害を発散したり、忘れることも助けになります。

苦しみを庇おうとする【自己正当化、置換、非難、自己同一化、逃避等】は、心理学で防衛機制と言われているものですが、それ自体も、現実の観察によって、意識の状態として見極めることが出来ます。そして、あるがままの様々な「ある状態」としての現実とそれに接続する言葉、イメージ、印象、記憶等を仲介調整するのが意識力であり、冷静さ、客観性、注意力等が世界を正常化させるものと認識しています。