長野市の、かるかや山 西光寺にありました。
駅から善光寺へ向かう道にありました
このお寺は僧・苅萱道心が開いたお寺であり、苅萱道心死去後は息子の石童丸(信照坊道念)が継ぎ現在に至るそうです。
苅萱親子の話は謡曲・浄瑠璃など広く知られているそうです(私は初めてでしたが)、以下お寺のホームページからの抜粋です。
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九州6ヵ国の国守加藤左衛門尉重氏は、世の無常を悟り、京の黒谷に登って法然上人の弟子となり13年。高野山へと入られました。
国に残された千里御前は、男児を出産し、「石童丸」と命名。当時、高野山は女人禁制のため、石童丸は麓に母を残し、父を尋ねて高野山に入ります。山内をさまようこと3日3晩の後、奥の院無明の橋で花桶を下げた僧に出逢いました。この僧こそ父・苅萱道心でした。道心は、石童丸がわが子であると知りますが、今は仏に捧げた身のため、名乗ることは出来ません。
 「尋ねし父は、既にこの世にない」と石童丸に告げ、山を下りるよう論します。山を下りてみると、母は、長旅の疲れからもはや帰らぬ人となっておりました。悲嘆にくれ、泣く泣く国に帰れば、姉千代鶴姫も亡くなっておりました。そこで、石童丸は再び高野山に登り、苅萱上人を父と確信しつつも、師僧と仰ぎ、弟子となり、信照坊道念と名乗り、34年間ともに修行されました。
お二人が刻み給うた親子地蔵尊は、当山の御本尊として祀られ、いまなお多くの方々の信仰を集めております。
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親子の表情良いですよね。
あえて冷たくする父親、悲しい顔の息子