佐賀駅〜佐賀城址に向けて佐賀県の偉人モニュメントが設置されてます。

SPOT1〜4は比較的駅の近くの公園にありましたがSPOT5以降は、お堀の近くまで1kmちょっとのエリアに8スポットに分かれて設置されてます。

だいたい100mに1つぐらいです。


SPOT9〜12、印象に残ったのは、お菓子2大メーカーのお二人


SPOT9  森永太一郎 江崎利一 あのキャラメルです


森永太一郎 伊万里市の陶器問屋の出身、父を亡くし苦労した後24歳のときに渡米し、西洋菓子の製造を学び35歳で赤坂に森永西洋菓子製造所、43歳でポケット型ミルクキャラメルを開発。安倍首相の奥さんは外曾孫。



江崎利一 佐賀市の薬種屋出身、37歳のときカキの煮汁を捨てるのを見て、含まれてるグリコーゲンがもったいないと思う。大阪に拠点を移し1922年40歳の時、グリコーゲンの含まれる栄養菓子、江崎グリコを販売開始。



同郷の出身ですが江崎さんは森永さんの17歳年下で、江崎グリコは森永ミルクキャラメルより7年遅く販売されたそうです。生まれた環境も、育った場所も違うので接点は少なかったかもしれません。

SPOT10
伊東玄朴 神埼市出身の蘭方医、シーボルトに師事し鍋島直正の侍医となり天然痘予防に種痘を広めたそうです。神田に作ったお玉ヶ池種痘所は東大医学部に発展


相良知安 佐賀市出身の蘭方医、千葉県佐倉の順天堂塾に入り蘭医学を学び、鍋島直正の侍医となり、明治以降は第一大学区医学校(現東大医学部)の初代校長となった




SPOT11 石井亮一 石井筆子


石井亮一 佐賀市出身の滝乃川学園創設者、クリスチャンで立教女学園教頭であったが、知的障害のある孤児を預かった縁から知的障害者向けの滝乃川学園を創設

石井筆子 長崎県大村市出身、津田梅子と華族女学園の教師をしていたが、最初の夫をなくした後知的障害のある娘が滝乃川学園に通った縁で石井亮一と結婚。石井亮一亡き後も滝乃川学園を支えた。

滝乃川学園は今も東京都立川市にある障害者教育施設です。渋沢栄一や澤田廉三(エリザベスサンダーホームの澤田美喜の夫)を理事長に迎え、閉鎖の危機を何度も乗り越えてきたそうです。

SPOT12 中富三郎 市村清 有名企業の創業者

中冨三郎 鳥栖市出身、旧姓は久光三郎(士族中冨家の養子)。久光兄弟会社(久光製薬)の初代社長。祖父が始めた家業を継ぎ、和紙に薬を伸ばした膏薬がヒット、58歳の時サロンパスを販売開始。


市村清 みやき町出身 理研が開発した感光紙の拡販で見込まれ販売部長に抜擢。理研光学(株)として独立し、二眼カメラを販売、リコーに発展。三愛グループも創設