佐賀城跡にありました、大きかったです。

肥前佐賀藩10代藩主で、号は閑叟です。

明治維新では薩長土肥といわれ、肥前といえば戊辰戦争の立役者でした。

自前で反射炉・銃・砲・蒸気機関まで作った佐賀藩の兵は近代装備で強かったそうです。

佐賀藩が近代的になったのは、直正公の政治にあったそうです。









後のNHKが良い感じ?にアピールしてきます、そもそも像が大きいのがわかります。

よく見る写真のお顔ともそっくりに出来てます。



うんちくです、解説2枚・絵図4枚、沢山あります

うんちくによると、直正公は財政を建て直すことからはじめ、身分に関係なく人を登用し、人を育てるために藩校弘道館拡張整備し、西洋の産業を起こし近代化に大きく貢献したそうです。実際その中から大隈重信を始めとした優秀な人材が育ち明治の世に貢献したそうです。


この反射炉でお台場の大砲が作られたそうです。

自分の子供にも種痘を接種したそうです。

自前で作った蒸気船もあったそうです。

蒸気機関を作った佐賀藩の科学技術の研究所で東芝創業者の田中久重もいたそうです。