象山・海舟・龍馬、維新の志士たちの像・レリーフです。
松代の象山神社に維新の志士達の像ができたとネットで見つけ、行ってきました。
出来たのは2018年11月だそうです。

ウンチクによると、
篠ノ井で商売をしてた兄弟が外商で松代に来て、象山のことを知ったそうです。
「象山先生のような立派な人材を輩出し、応援できる立場になろう」と、兄弟は誓い60年努力してきたそうです。
その後紳士服の販売で成功したAOKIホールディング(紳士服の青木、快活クラブ、カラオケコートダジュールなど)の創業者兄弟が、維新の像を象山神社に建立したそうです。

象山神社です。

ウンチク

レリーフ含め計10名になります

1.佐久間象山 を中心に、
2.松代藩主真田幸貫、象山の才能を見込んて引立てた
3.長岡藩士小林虎三郎、象山の砲術塾の塾頭
4.長州藩士吉田松陰、象山の弟子、長州の精神的巨頭
5.幕臣勝海舟、象山の妻は勝の妹なので義兄弟の間柄
6.坂本龍馬、象山の砲術塾に入門、勝の弟子
7.越前藩士橋本左内、象山の弟子、安政の大獄で死没
レリーフの3人は弟子ではないが、象山を訪ねた人
8〜10.レリーフ 高杉晋作 松蔭の書を象山に持参
        久坂玄瑞・中岡慎太郎 一緒に面会




真田幸貫 象山の才能を見出したお殿様、真田家との関係は薄く、寛政の改革で有名な松平定信の子供で徳川吉宗のひ孫です、やはりただものじゃない


小林虎三郎
長岡藩士、後に長岡藩大参事となり、戊辰戦争後餓えにあえぐ時もらった米百俵で学校を創設「食べれば無くなるが、学校は将来何倍にもなって返ってくる」で有名な教育者(小泉首相が引用)



吉田松陰
象山と一緒に黒船を見ました、松蔭の弟子達は維新の原動力となった高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞、伊藤博文などたくさんいらっしやいます。きっと熱い人だったんでしょうね、黒船を見たことが彼の人生のターニングポイントでそこに象山が関与してるんですね




勝海舟
象山の弟子であり、義弟でもありました。
象山は傲慢で敵を作るタイプ、愛人も多数いるなど
難しい人だったようです。
勝の妹と象山は歳も離れていたそうですが
象山と結婚したそうです。
弟子である勝の判断もあったのでしょう。
勝は象山亡き後は遺児の面倒も見たそうです。
なお、海舟という号も象山の書からもらったそうです。




坂本龍馬
勝の弟子で土佐藩出身の志士で、司馬遼太郎の小説で、すっかりスーパーヒーローとなりました。実際どこまで本当なのか気になりますが、格好良いですよね。
海軍の基礎を作った、最初の株式会社を作ったなど
いろいろ言われてます。
三菱財閥は土佐藩の九十九商会(海運業、後の日本郵船)
が始まりですが、龍馬の海援隊があったから土佐藩は海運業を始めたようですし、龍馬の死後、海援隊は九十九商会に吸収されてます。三菱ドットコムでとびきり凄い銅像作らないかな、、




橋本左内
象山の弟子で越前福井藩の藩医でした。
松平春嶽の側近として一橋慶喜の将軍家継承
運動にが関わった事をせめられ、安政の大獄で
斬首となりました。



久坂玄瑞、高杉晋作、中岡慎太郎
象山は、松蔭の黒船密航未遂事件に関わったとして
蟄居を命ぜられました。この3人は、高義亭と称する客間に訪問した志士達だそうです。

久坂玄瑞は、長州藩士、松蔭の弟子筆頭で、松蔭の妹と結婚してましたので義弟にあたります。松蔭・晋作とともに過激な志士であり、蛤御門の変で討死にしてます。

高杉晋作は長州藩士で奇兵隊を作ったり型破りな革命家として活躍しましたが若くして結核で亡くなりました。

中岡慎太郎は土佐藩出身で陸援隊を組織し、龍馬と一緒に活動しましたが龍馬と一緒に暗殺されました。


佐久間象山
最後に象山先生です。松代出身の兵学者であり、江戸で砲術塾を開いてました。世界の中の日本という視点を持ち、「海防八策」や「西洋海軍創設」などを提言したそうです。スーパーヒーローのような弟子達を多く育てたそうです。ちなみに、良い天気で良かったです。





2人の立像、5人の胸像、3人のレリーフ圧巻でした。
青木さんご兄弟、ありがとうございました。

ちなみに出来て4年で、まだ緑色してますが、もう数年経つと良い感じになるようです。
以下は富岡八幡宮の伊能忠敬像ですが、8年経過して良い感じになってます。