2024年4月4日のあの日。
ボクはストリートファイター6における最高リーグである『マスターリーグ』にリーグアップした。
それから2か月あまりが経過した今、時々こんな風に思うことがある。
「もしもあの日をもって、ランクマッチから身を引いていたら」
最高リーグに到達。
LP25,000。MR1,500。
そのような、無傷で完全なステータスのままでいたとしたら。
そんな思いがふと脳裏に浮かぶことがあるのだ。
「マスターリーグ1,200とか、余程弱くなければそうはならないだろう(笑)」
いつだったか、どこかのネット掲示板か何かでそういうコメントを見たと思う。
その頃のボクはマスターリーグ到達なんて夢のまた夢と考えていたから、マスターリーグに上がることができた実力者なら、余程のことがない限りMR1,200になんてならないのだなぁと認識した。
今、ボクはかろうじてMR1,200にしがみついている。ランクマッチに臨む度にMRは1,100台へと減少する。そして何十戦もの試合をして、やっとのことでMR1,200に戻れるかどうかという具合だ。
いつかどこかで見かけた、
「マスターリーグ1,200とか、余程弱くなければそうはならないだろう」
というコメントが思い出される。
ボクは「余程弱くなければ」を通り越し、それよりもなお力を持たぬ者なのだ。
もしも4月4日あの日をランクマッチ最後の日としていたら。
ボクは「自分がどれだけ出来ない人間なのか」をこれほど知らずに済んだはずなのだ。
対戦格闘ゲームは子どもの頃から大好きで大好きで大好きだ。しかし、その腕前はと言えばその思いの強さには伴わない。それは十分に自覚している。
それでも4月4日あの日でランクマッチから身を引いていたら、自らを慰められるだけの言い訳を守ることはせめて出来たのだろう。
先日、ボクはSNSへこんな投稿をした。
1先を駆使してマスターになったボクの中には後ろめたさのようなものが漂い続けており、実際のところそれによって極めて致命的な大切な何かを失ってしまったのだと思われてならない。
思い返すと、ボクの生き方はこれまでもそのようなものだった。そう思う。
得たい何かを得るためのボクの努力とは「いかにして上澄みをすくうか」のようなものであって、物事の本質的な理解や習得を通じて得られたものなんて一体どれだけボクの中に存在するだろうか。
ウメハラこと梅原大吾氏の著書『勝ち続ける意志力』にこうある。
『ゲームは何より大事なもので、勝負ももちろんそうだが、ゲームに対する取り組み方においてだって誰にも負けたくない。だからこそ手を抜くわけにはいかない。』
ボクの抱える問題はそれとは比べようもない遥かに次元の低いところの話だが、「手っ取り早く欲しいものを得る」「上澄みをすくい、快適で効率的に過ごす」は、まさに(ウメハラ氏曰くの)10を求める選択だと思い知らされる。
人生をそのように歩いてきたボクにとって、格ゲー、スト6は本来そういうものに向き合い直す旅でもあったように思う。
出来ないことを認めること。
思い通りにいかないこと。
敗北を認めること。
そして挫折を味わうこと。
そしてそれを乗り越え、成長すること。
しかし、その旅もいつしか虚飾に満ちたものとなっていった。ボクは大好きな格ゲー、スト6にさえ願った通りに向き合うことができず、刹那的な快適さ、効率を欲し、大切な何かを自らの手で台無しにしたのである。
戦えば戦うほど、自分の無力さ、現実をこれでもかと突きつけられる気がした。
こんな思いをするくらいなら「マスターリーグ到達」を目標にするのではなかった。
十分な実力もないまま、1先を駆使するなどして形だけのマスターになったものだから、マスターリーグにおけるランクマッチで目を背けたくなるような現実を知ることになったのだ。
さて、先日視聴した洋画についての話をしよう。
Netflixか何かで何となく視聴したコメディ映画は、「誰が見てもさえない男が、誰が見ても魅力的な女性と恋に落ちる」、そういう話だった。
その映画が面白かったということをここで書きたいわけではない。書きたかったのはこういうことだ。
誰が見ても魅力的な彼女は、容姿だけでなく、心も美しい人物。だから、周りの人間は彼女のことをパーフェクトだと言う。しかし、ボクからすれば「それが何だっていうんだい?」と思わずにはいられないどうでもいいようなことを、彼女は恥部としてコンプレックスに思っている。そのように決してパーフェクトではない自分であると彼女は思っているが、かつて愛した恋人から「パーフェクト」と言われた挙句、自分では釣り合わないと告げられ破局してしまう。
世の中には、まさに「パーフェクト」な人たちが存在する。美しい容姿、豊かな暮らし、輝く才能、そういうものに恵まれた人たちだ。残念ながら持たざる者であるボクからすれば、彼ら彼女らはまさに持つ者であり、もしも彼ら彼女らと同じ時と場所を共有する機会があるとしたら、それだけで気後れしてしまうことだろう。しかし、そんな彼ら彼女らも、もしかするとあの映画の彼女のように、自らを「パーフェクト」と思うことはないのかも知れない。
考えてみれば、世の中に完全な人間など存在するだろうか?答えは明らかだ。世の中に完全なコマンド入力が存在することがないように。
話をスト6に戻そう。
もしもボクがこの先もストリートファイター6を続けていくとすれば、これまでもそうであったように、これからも悔しい思いをし、己の無力さに怒りを覚え、出来ない自分をまた一つと見つける度に失望することだろう。何かを続ける先には満足を求めたいものだが、仮に何かが出来るようになったとしても、また何かを課題として発見することになる。そのようにして、完全な世界に辿り着くなど永遠にないのだ。
世の中には、2先で戦い切り、マスターリーグに到達する人もおられる。
MR1,600に到達するような達人もおられる。
レジェンドの称号に輝く人もおられる。
大会で優勝する人もおられる。
ボクからすれば彼ら彼女らはまさに「パーフェクト」であり、羨ましい限りである。
しかし、世の中に完璧なんてない。
種類は違えど、皆何かと戦い続けるのだ。
そしてボクは今日、SNSへこう投稿した。
ふと思う。
この時代を生きれることは何と幸せなことかと。
スト6という対戦格闘ゲームの最高峰が存在して。
自宅にいながらいつでも好きなだけ対戦ができて。
ウメハラ氏という生ける伝説に憧れることができて。
SNSを通じて世界中の格ゲーマーと繋がれて。
こんなに幸せな時代はない。
そして、こうも投稿した。
負けるのは悔しくて仕方ないけれど、スト6を愛するプレイヤーさんたちと試合するには"今"が一番いい時。
負けてポイントを落としたとしても、強くなって取り戻せばいい。いつまでも下を向いていないで。
ポイントを失うことを恐れて対戦しないなんて、それこそが最も大きな損失。
今を大切に。
つづく