『運動神経悪い芸人』というテレビ番組企画を観たことがある。
ボクはアレが嫌いだ。
「運動神経が悪い」
ことを自他共に認めるお笑い芸人たちが、とんでもないコントロールの悪さを披露しながらボールを投げたり、泳いでいるのか溺れているのか分からない水泳をするアレは、きっと世の中においては人気のある企画。
しかし、ボクはどうしてもアレを面白いとは思えない。
できない人の「できない」を晒して何が面白いのか?という思いもない訳ではないが、何よりも「わざとらしさ」が感じられてならないことがその理由であると思う。
つまり、運動神経の悪い人が、運動神経がどれだけ悪いのかを面白おかしく見せている気がして白けてしまうのだ。
とは言え、「運動神経悪い芸人」を観て楽しむ人に対して何かを言うつもりはないし、そもそも何かを思うこともない。何なら真顔でテレビを見つめるボクの横で、愛する妻がアレを観てケラケラと笑っていたりする。人には本能的に好きなもの、嫌いなもの、というのが存在する。
ボクはパクチーがどうしても食べられない。
妻はパクチーを食べることができる。
そういうことなのだ。
さて、スト6の話。
ボクは今、来るAct.4から開始するランクマッチに向けて力を蓄えている。
ランクマッチの行方は長い目で見れば、それをいつ始めようと行きつく先へ行きつくものだということは自明だ。
だがしかし、ボクはせめてAct.3のうちはランクマに臨むことを我慢し、トレーニングに励むと固く決心している。
それこそまさに、ボクが運動神経悪い芸人に抱くものによる。
きっと承認欲求の強いボクだから、周りの方たちにどう思われてしまうのかということこそ極めて重要な問題なのだが、それをすることで自分に対して自分がどう思うかということも無視できない問題。
前にも書いたと思うが、マスターリーグに上がり立てのボクが直ちにランクマに臨んだとしたら?
負けることは目に見えているが、それ自体はAct.3のうちにいかに全力でトレーニングをし、Act.4からランクマに臨んだとて、何も変わらないことだと覚悟している。
しかし、そのトレーニングをしなかったとすれば、ボクは負けることに対して都合の良い理由付けをしてしまう。
「マスターリーグに上がったばかりだから」
「ろくに練習もしてなかったから」
「最初から勝てるはずはないから」
誰かに負けることの理由を問われることなどこの先もないと思うが、きっとボクは訊かれもしないことに対してそのような言い訳をするのだ。
そんなことを思いながら、ボクはLv8CPUを相手に、今日もトレーニングを続けていく。
中足の振り方は何となく身についてきた。
まあ、それが適切かは話が別だが。
対空はどうか?
ボクがYouTube視聴でお世話になっている凄腕ジェイミー使いの伊藤カイジ系[智也]さんは実に鮮やかに張弓腿を使われる。あまりにも鮮やか過ぎるのか、配信の中でご本人は「反射的に出過ぎる」という旨のコメントをされていたと思う。これは凄いことだと思う。トレーニングに励むことによって、人はパブロフの犬の如く「反射的に」動くことが可能なのだ。
ボクも反射的対空に近づいていこう。
苦手なパクチーも、いつか妻と一緒に食べられるように。
つづく