ふと、こんな思いが込み上げてきた。
今日に至るまでの自分を思えば、この辺りが限界なのだと。
「誰だって続けてさえいれば、いつか必ずマスターになれる」
それを実現できた人にとっては紛れもないその真実は、「誰にでも」当てはまるものではない。
ボクはそう思う。
願望や期待とは別に考えてみると、バーチャでは智将、鉄拳8では鉄拳王に憧れてきたが、到底ボクが辿り着ける次元ではないと思えてならない。
どんなに続けたところで辿り着くことのできない場所がある。
見ることのできない景色がある。
それは惨めなことでしかないのだろうか。
辿り着くことのできない場所があろうと、見ることのできない景色があろうと、そもそも辿り着くべき場所、見るべき景色は人によって違うのだとボクは思う。
人によってはそれが轟雷神、破壊神かも知れない。
ボクにはそれが、王者、鬼神なのかも知れない。
あるいは他の誰かには、それが練士や拳帝かも知れない。
その終着駅がどこであろうと、そこが必死に努力して辿り着いた場所であるのなら、それはまさに辿り着くべき場所、見るべき場所なのではないだろうか。
もちろん、ボクが必死に辿り着いた王者という段位は、轟雷神に比べれば遥かに下だ。王者はLv26、轟雷神はLv42。それだけの差がある。そういう意味では王者なんていう段位よりも轟雷神という高段位の方が遥かに高い価値を持つ。そこまで辿り着けることはやっぱり凄い。
しかし、それは彼が辿り着いた場所であり、彼が見ることのできた景色だ。ボクじゃない。
王者はどうだ?鬼神はどうだ?
それがボクの限界ギリギリの終着駅。
上には上がいるが(それもとんでもなく大勢のプレイヤーさんが)、ボクにとってはそれも価値がないとは思わない。
ふと高校生の頃を思い出した。
ボクは愚かにもこんなことを問うてみた。
「ねぇ、Uくん。君はどうしてあんな(数学の)問題も解けるんだい?あれを見てどんなことを考えたら正解できるんだい?」
合格確実という周囲の評価の通り、彼は京大の理学部に現役合格した。そんな彼はボクの愚かな問いかけに対し、温かみのある励ましの言葉を返してくれたのだったと思う。
東大や京大に合格していった同級生と比べれば、3流大学に進んだボクなんてクソ雑魚ナメクジだ。挙句、高校の担任の先生から、「えっ?受かったの?ほそまゆげ君があの3流大学に?!」と言われたくらいだ。
悲観的な思いではなく、多分ボクはどんなに浪人を重ねたところで彼らのように東大や京大に合格することは不可能だと思う。悔しいことに頭が足りないというのもあるが、さらにそれだけ正しい努力をするということが極めて困難だと思うのだ。
3流大出のボクの数学の解き方はこうだ。
問題集に載っている頻出問題を必死に暗記する。
そして似たような問題に出会ったら、何となくパターンを当てはめて数式を作って計算を進めていく。
数学の本質に迫るような勉強をしたことなんてなかった。目の前の点数を稼ぐことへしか意識を向けていなかったのだ。
振り返ると、ボクの生き方は昔からそんな感じだ。
会社でも何となく仕事をしてきて、何となく窓際係長代理補佐の役職に就いているだけだ。
そして格ゲーでも同じ。
薄っぺらく、目の前の段位ポイントだけを漁り、実力を超えた見た目だけの段位に辿り着く。
初めてランクマッチに臨んだスト5の時から何も変わっていない。
そうして辿り着いた王者、鬼神。
これ以上に辿り着くことは、もはや段位ポイントを漁ることでは不可能なのだ。
語弊のないように記す。
そのようにして記録した形だけの段位に価値があると思っているのではない。
轟雷神や破壊神のような素晴らしい実績ではなくても、ボクという薄っぺらい人間が、それでも必死にもがいて辿り着いた中途半端な段位ではあるが、それにはそれなりの価値があるのだとボクは思っている。
それでも。
誰だって続けてさえいればマスターになれる。
やはりボクは、ボクのマスターに辿り着いたのだろうか。
つづく