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会社都合で離職し、現在求職中の54歳です。
横須賀生まれの私は大学を出てすぐに屋久島で1年強暮らし、その時縄文杉の登山道の整備などをしていました。

その後東京で仕事に就き、しばらくして響鬼が放送開始。初回から屋久島で、そしてヒビキさんに引き込まれました。人生において好きな作品を上げろと言われたら、筆頭は響鬼です。

悩んだ時など視聴しては元気づけられております。世界で響鬼は茂樹さんただ一人ですので、いつまでも響鬼の部分は大切になさって、ファンを勇気づけてくださると嬉しいです。
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素敵なメッセージ、
ありがとうございます。

屋久島は厳かで
独特の
空気感がある場所ですよね。

『仮面ライダー響鬼』

と屋久杉の
コラボレーションは
後世に残る
『傑作』だと思っています。

何か迷うことがあって
遠くへ行きたい方は

『何かを見つけられる』

そういう場所です。



【完全新生】

を掲げ
屋久島から始まった
仮面ライダー響鬼。

あなたが整備してくれた
登山道をスタッフと歩き
撮影をしたかもしれませんね。

この場を借りて
お礼申し上げます。

私自身、
仮面ライダーはじめ、国内外数々のヒーロー、英雄たちを見て育ち、その思いを響鬼に乗せて『結集』できた作品だと思っています。

スタッフにも恵まれ
若く才能ある方々も集合した作品で、『今も支えにしている』とのメッセージを、20年近く経た今も視聴者の方々からいただくと、当時何度もお断りしたものの、悩みながらも引き受けてよかったのかなとも感じています。

『仮面ライダー』

テレビ放送開始の年に私は生まれ、
『東映まんがまつり』で親しんだ個人的な思い出も浮かべながら、撮影に臨んだことを思い出します。


年齢が近い私たちは
十分頑張ってきたはずなのに
悩みが尽きず、
不意に押し潰されそうになる
世代ですよね。

不安な時、
自分の『少年時代』を
振り返り
童心に戻ってみてください。

大声で歌う。
言いたいことを言葉にしてみる。
気になる場所へ行く。
好きなだけ走って汗をかく。
よく食べる。よく眠る。

その程度で
少し気が晴れます。

大切なことは

『子どもの頃の自分』
を呼び覚ますと
『大人になった自分』
の助けになるという感覚。

自分で自分を支える
方法論です。


あなたが綴る
【いつまでも響鬼の部分は大切になさって、ファンを勇気づけて】というリクエスト。

私は引退していないし、
引退する理由もないから『響鬼』という作品を大切にして、当時の少年少女たち、響鬼ファンを勇気づけていくことを約束します。

ですが、
『引退した』等と一部のライダーファンが中心となって、あらゆる場所に書き込まれている報告が届き『なんだかな』と複雑な心境になります。

仮に二度とやらなくても
距離感を見極めることに
変わりはないから。

少年期、青年期、壮年期、
中年期、高年期。

響き合う絆で繋がり
生涯響き合う『仲間』だと
私は思っています。

私たちだけの
『屋久島ストーリー』を
時には思い出し、
大きく鼓動を響かせ
いつまでも
明日を夢見ましょう。

応援しています〆