大晦日は、

NHK紅白歌合戦の舞台を
思い出します。

誰もが生きることに迷い、
希望を見失い、禍々しい(まがまがしい)気持ちに陥る状況の中、今年も共感し支えてくれて

ありがとう。

欺瞞に満ちた人物、
集団等が現れ、真実を隠す不正な『アクセス規制』『設定』の存在があると知っても、

お互いに励まし合い
語り合いました。

皆さんと
本音で繋がる歓びに
感謝しています。

真心で言葉を紡ぎ、
人が人と純粋に繋がる
居場所になったこのブログを、

誇りに思います。

そして本年、
出演オファーをくださった
皆さま方、

ありがとうございました。




少年よ、
今どんな場所にいますか。

『綺麗事』

だけでは立ち回れない
社会の流れ。

言ってることが
破綻している人物らが
社会を破壊していく残酷な日々の中、
息を潜める

少年、少女たち。

新型コロナや戦争の影響は
世界経済を巻き込み、物価高、急激な円安からの円高、インフレが世界的に始まりました。

私たちの国、私たち自身は
どんどん鞭を打たれ、次第に

弱くなっていく。



弱っていく私たちの未来、
将来の発展を阻む

『忖度』社会。

本来の意味は、
『相手の気持ちを考慮する』と記されるように、どちらかというとポジティブなイメージの言葉でした。広辞苑には

『他人の心中をおしはかること』

国語辞典には
『自分なりに考えて、他人の気持をおしはかること』とあります。
本来、私たちに宿る

『思いやりの心』です。

しかし、
2020年の辞典には、

『特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられる』

と新たな意味が
追記されています。

誰の責任なのかも不明なまま、
一定の方向に

『何となく』物事が動き、

気持ちの悪い人物が
前面に出てくる不快感。




『夢』『目標』『希望』

は誰もが
自由に持ってもいいけれど、

『権力』『権限』『立場』

を、持たせてはならない人物がいることも明るみになった2022年。

真実を知らせる責任感がないのに
言葉だけは流暢に
罪悪感なく偽る者や、
情報を扱ってはいけない人物を

今年は追跡しました。

『良識』は、
誰もが持っているとはいえなくなり、そういう人物の意に従って周りが『忖度』でなびき、多くの分野が衰退し、破壊していった、

決定的な一年。



忖度に関わる者が

『気まずいから』

と蓋をして避ける社会、
何も改善していかない社会に
私たちは巻き込まれている。

ひと昔前、

国民や視聴者に
正しく忖度して、正しい政策、正確な情報を提供をする、『良識ある忖度』があった時代、

政治家、経営者、マスメディアなど
気概のある人物や企業があったから、気まずいことを修正しながら発展に繋げられました。

気まずい、は『物事を正す』
優良コンテンツだったからです。

気まずいことに
向き合うことを見せることで、
社会の良識も保たれたけれど、

意味合いの異なる忖度が強くなり、
忖度する者が

『数の力』

で正しい忖度者を弾き、
間違った忖度を強いるようになった。

生産性のない
『忖度』がスタンダードになったことで、何もかもが発展しづらくなり、

人を慮る(おもんぱかる)、良識ある意味合いが、いつの間にか消された日本の文化は、もう

『手遅れ』
かもしれないけれど。



若者よ、
少年、少女たちへ

年の瀬

ベートーベン53歳の名作
交響曲第九番、通称

『第九』

正しい自由と平和を求め、
誰もが自由に生きることを

『全力で掴め』
『本気で掴め』

と大合唱した名作です。

諦めず、君の声を
2023年の夢に向けて響かせる
大晦日。

『少年よ』

年の瀬の『第九』なれ〆