全国の小中学校で2021年度に不登校だった児童生徒は、前年度から2割以上増え、24万4940人で過去最多となったことが10月27日、文部科学省の問題行動・不登校調査でわかった。
20万人を超えたのは初めて。 


義務教育は
そろそろ敗北か。

約25万人に
『NO』を突き付けられている
学校社会って、

実は魔界だ。

この報告書だけでも
中学生の約1割が
不登校の現実。

合わせられない集団に
違和感を感じるなら、個人の意思で安全な場所に籠り、自己防衛するのは、寧ろ普通なこと。

『疑問がある場所』

にいられない
人数だろう。

私たちの国は

『減点主義の社会』

他人と少しでも異なると
迫害の対象になっていく。

個性豊かで繊細な人ほど
全体主義は馴染まないから、

『学校に価値があるか』

その先の大半が
『社畜生活』を送るなら

何をしたくないかという
視点で判断することも
大いにある。

幸せは人それぞれ。



不登校児たち、
少年少女たちの
切実なコメントを読むと、

『運動会』『修学旅行』
『文化祭』などの学校行事に、強いストレスの原因があることがわかります。

ひと昔前は
有無を言わさず、それなりの耐性を叩き込まれたけれど、

今の子供たちの環境は

常にSNSがつきまとい、
話題に追われる毎時間は
並大抵の耐性では
気持ちが
追いつかないと想像する。

学校自体、友達関係、
いじめ犯罪、
地域社会全体も

年々、
陰湿さが深くなる。

文科省は、

『生活リズムが乱れやすく交友関係を築くことが難しくなり、登校意欲がわきにくい状況にあった』

と分析しました。

自分の事案だって、
誰にでも分かる形でまとめて
手紙で送ってみようよ。

区長、市長、知事、国会議員、
たくさんの大人たちに
読んでもらおうぜ。


不登校児たち本人は
悪くないよ。

推計だけの25万人から
全否定されているのに、文科省の教育制度改革のシステムに、無理や間違いはないのかな。

外出に危険がつきまとい、
学校でのいじめ犯罪や、
教員のスキルが低いなら

『不登校の方がマシ』

という答えは
自然な流れかもしれない。

『ただの甘え』
『臆病なだけかも』

と本人たちが自覚していても、それでも我慢して、学校に行くだけの理由が見つからないのは、

学校環境に
何かが足りていないと
思える。

推計約25万人のために
なぜ不登校になるのかを、
社会全体が
考えるべき問題だと思います。


人間関係や生活環境を
リセットできるタイミングは、
高校、大学入学等に、
大きな機会があります。

『不登校』であっても、

入試をパスする程度の学力は
自前で養って、いつか自分なりの目標や目的を見つけ、

人生は
気長に歩めばいい。

頭の片隅に置いておくことは、

学習や人間関係につまずいて
悩んでいても、

『生きてるだけでいいよ』

って気持ちで
優しいメッセージがあっても、現実はそれを許さない側面もあります。



自分が何で
社会で認められるかは
本人の努力と意地で別だから、

一般社会で
認めてもらえないなら
『認める立場』
を目指せばいい。

評価してもらえないなら、
『評価する立場』
を目指せばいい。

理解してもらえないなら、
『理解する立場』
にならなれるはず。

ほとんどの人たちが、高校までで『学び』を止める稀有な国。

大学に入る為の学習、
就職する為の学習だから、
18歳を過ぎても
『学ぶ意識』がある人なら、
強く生きていける。

その『何を学ぶか』は
その人次第、

自由なんだ。

社会に出て行く方法、
将来稼ぐ方法は、いくらでも選択肢があるから、たかが不登校になったくらいで憂う必要はない。

周りに理解してもらえなくても、
学校に行きたくないだけの
その子たちは、きっと

エネルギーに満ちている。

それをわかってあげられる
大人たちが
身近に見つからないだけだから。



『義務教育』

とは厳格な
品質管理のようにみえて、どんな人間を育むのか、ビジョンがないツケが回っているような気がします。

少し違った目線からも
人とは接するべきで、
人を粗末にしないでほしい。

少子高齢社会が更に加速して、将来、あまり豊かにならないのがわかっているのに、本気で対策を講じることなく、人を粗末に扱って、『自助』とか『人任せ』だから、

次世代の精神は
滅んでいく。

若い世代のために
改善意識を持たない大人の言うことは、何の為にもならなかった。

教員も同じだった。

ただでさえ
弾かれる要素がある民族なのに、外側からも、内側からも圧があり、意識を変えないと、結局困るのは

私たち自身。

悩みを抱え
SOSを発信する子供達、

『甘え』

ではないから。