~正しいものは何なのか
それがこの胸にわかるまで~
15歳の頃
擦り切れるほど聞いた
『僕が僕であるために』
尾崎豊さんの歌に
今も胸が熱くなります。
あれから30年が過ぎ
その言葉が蘇り
今も僕に問いかけます。
正しいものとは
何なのか、と。
それがこの胸にわかるまで~
15歳の頃
擦り切れるほど聞いた
『僕が僕であるために』
尾崎豊さんの歌に
今も胸が熱くなります。
あれから30年が過ぎ
その言葉が蘇り
今も僕に問いかけます。
正しいものとは
何なのか、と。
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法治国家である日本
人間の生死に関わる矛盾のいぶかしさを個人情報だからと疑問に答えない行政…。日本の社会って どうなってしまったんだろう…。やはり 無力かも知れませんが矛盾について 声を上げ続けることが必要なのしょう
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コメント
ありがとうございます。
目の前にある現実は
法治国家ではなく、
場合によっては
『人治国家』
『人治国家』
ではないかと
錯覚する時があります。
司法ではなく、
『人』が国を治め
優先されることです。
例えば、
親族、血縁、地縁、友人、知人、縁故、賄賂、権力等の、有形無形の
『便宜』
※べんぎ、ある目的や必要なものにとって好都合なこと。便利がよいこと
司法を無視して
不正な利益、欲望だけを重要視して便宜をはかる、忌まわしい一定数の存在。
例えば、
東京五輪は、
パンデミックが狂わせましたが、
ファミリーだの、
パワーエリートだの、
ステークホルダーだの、
中抜き、搾取、
ピンハネ構造のやり方まで、広く知れ渡り『内側』と『外側』、どちらの暗部構造も可視化してしまい、どこも
『利益優先』
である存在だったことが
知れ渡りました。
同時に、
どのような繋がりでメンバーが構築されているかの『相関図』までが炙り出され、『不正の正体』を教えてしまいました。
時代を引きずり
置いていかれた年配者の、
傍若無人な悪態、嫌がらせ、
非常識、身勝手な言い分、騒いだツケは、子や孫の代まで持ち越してしまう、取り返しのつかない
負の遺産、
解決しない負の感情を、
一言の『失言』
で植え付ける罪深さ。
私たちは
経験しました。
個々が持つ正す声、
情報拡散力は
すごいなと、実感したのも、
東京五輪の功績です。
個人は
無力じゃないですよ。
絶対に諦めないで、
自分が見つけた逸材に狂いはないと、自己肯定して励まし、奮い立たせ、信じて、社会に問い続け、明日も進み続けてください。
個々が集まり、
正確な情報を共有すれば
最も強い『光』になり
どんなものも貫通します。
『正しいもの』
いつまでも自分に
問いかけてください。