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エンタメってなんなんでしょうか。夢を与えるものなのに、その裏側まで見せられてる気がして一切楽しめなくなりました。日本の芸能界はもう終わりなのかもしれない、というか、終わってくれて全然良いと思っています
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たくさんの思いを綴って頂き、
ありがとうございます。

肝心な情報より
『表裏』真逆の伝え方が主流になり、信憑性のない噂も織り交ぜ『表』を汚し、裏舞台が暗躍する不信感。

楽しかったコンテンツも
現在は
キラキラしませんね。

作品というのは、

『何に感動したか』
『誰に感動したか』
『何が印象的だったか』

視聴者、ファンのみなさん
観客の方々に響くもの、
それに尽きると思っています。


『心に焼き付く』


それが純粋な
評価ではないでしょうか。

作品をリメイクしたり、楽曲を何気なくカバーしたり、歴史上の人物を演じたり、どれも同じことです。

その作品と出会った時、
ご自分の気持ちが
どうであったかが
意味のあることです。


ひとつ例に挙げます。

『007シリーズ』は歴代の俳優たちも歴史を継承しつつ、新たな魅力を伝え、色褪せることなく個々の作品に個性を持たせ、進化し成長を続けているシリーズ映画です。

魅力的に映すロケ地、
魅力的なアクション、
魅力的なアイテムガジェット、
魅力的なボンドガール
魅力的なファッション、
魅力的なマティーニ、
魅力的なボンドカー。

掴みのアクションシーンから始まり、お約束のセリフ、粋な場面を織り交ぜて展開し、その時代の悪と闘う『英国ヒーロー』というお決まりの流れですが、

その時代を『魅力的』に描き、
世界中のファンを唸らせ続け、莫大な経済効果を生み出し、ファンを虜にして離しません。

007シリーズから
撮影の多くを学んだ部分が
礎となったことに敬意を払い
劇場で鑑賞しています。

ファン同士も質が高く、
英国も自国のヒーロー、コンテンツを大切にしているのは、ロンドン五輪開会式で颯爽と登場して、オリパラ始まりの期待感を高めた登場シーンからも伝わりました。

スタッフ、キャスト、
それぞれのパートのプロフェッショナルたちが、『リアリティー』への追及を結集させ、作品のディテールを大切に守りながら積極的に伝統を進化させているから、上質なエンターテイメントに仕上がっているのだとファンは実感しています。

作品が本物だからです。

本物に尽きるから、
絶対的なファンが
世界中にいる。

代役、CGに頼り過ぎない生身のアクション、脚本、ストーリー、本物の俳優陣、ひとりひとりの熱量が高く集中力を高め協力、結集した作品は、

何年経過しようが
色褪せないのです。

ファンや視聴者、
観客までを
誇らしくさせる力が
本当の『作品力』です。


そんな気持ちにならない
作品や番組、ファン観客の声の質も含め琴線に触れない、見ないのは、あなたの正直な答えだと思います。

限られた大切な時間を
割いて貰うために、
どんな魅力が前提にあって
パフォーマンスを表現したかが
その作品の結果です。

近年は
欧米のサスペンスドラマ、刑事、医療ドラマ、アジア作品を中心に視聴していますが、どの作品も掴みが心地よく、次回が

『待ち遠しい』

とワクワクしながら
視聴しています。

映像美、秀逸な脚本、
見事な演技、粋な小道具、
難解なトリック、展開、編集力、
実に素晴らしいフェアな内容で
惹きつけられて止みません。

これが
純粋な視聴者の感想です。

視聴するために
時間を忘れ、限られた時間、生活の隙間に入り込むだけの魅力、見て貰ったり足を運んで貰うには、高い価値、高いクオリティーを要するのですが、国内では積極的に探すことをしなくなりました。

報道、情報、音楽、映画、
舞台、ドラマ等、
放送含む全体が広告的な伏線、
コントチックな演出の顔芸、
バラエティー化に転じたので、
気付いたら

海外報道、海外配信、
海外コンテンツ、
『国内放送』から『海外配信』
へ軸が移行していました。


本当は見たい人がいるのに、
その人の歌声が聴きたいのに、
しれっと替え玉が現れるのも
珍しくありません。

仲間と見せかけながら
水面下では徒党を組んで孤立させ、恐喝して立場を得る鬼畜がいて、同調圧力を見せて楽しむ陰湿さ、恐ろしい集まりの広場だったと知れば、殆どの人は

『行かない』

のではないでしょうか。

足を引っ張り汚名を着せ
デマや悪口、誤情報、
嫌味、悪評でdisり、 

理由は何であれ、
権力側が弱いモノイジメを、積極的に肯定する環境、不正なしがらみを押し付けて見せる無法地帯、アンフェアなインチキ臭。

いびって孤立させ、
放送法、独占禁止法違反を犯す放送局が、一部存在する不信感などが、地上波離れのシンプルな理由だと思います。

詭計され、
裁判報道が正確に流されず、世間に真逆の印象を与える放送被害を受け、私は無意味な

社会的制裁を
与えられました。

『放送被害』というのは

当事者だけでなく視聴した方、ファンの方々も同様に、気持ちが抉られてしまうんですよね。

その傷は
想像を絶するほど重く
すぐには回復しない。

放送局、放送責任者は、その都度丁寧な訂正や解決を放置したままで、積極的な対処をしてこなかった。

その姿勢が
スコア化された視聴率。
視聴の消極性を表す現在。

デジタル社会は
過去を忘れないから、積み上がった放送暴力の実体は、将来的にも知れ渡ると予感します。

口先だけの
『SDGs』の提唱なら
虚しい限りですよね。


私たちの国に
存在したはずの文化、財産、娯楽の世界観を根底から消極的にした明確な理由が、コロナウィルスではない部分で確実に存在します。

それを的確に指摘、
意見することは
現時点では控えますが、

実際、コンテンツ自体
期待されているのでしょうか。

地上波から離れてしまえば
特にリクエストもなく、他国の作品、国際専門報道で視聴習慣が根付けば、それが日常になっているのだと思います。

YouTube、Hulu、
Amazonprime、Netflix、

子供達が主に視聴する
上位チャンネルに
『地上D』はありませんでした。


野生動物の世界から教わった
競争の先にある自然淘汰は、
『絶滅』を意味します。

あなたと同様、
もったいないなと思っていますが、新しいモノを生み出せないボトルネック、創造力の問題でもあるので、過去の作品を擦った二番煎じ、三番煎じの設定ばかりの発想は『コピー』なので、『エラー』『ミス』が答えだと思います。

『退化の改心』
をしない体質、追いつけないほどの差が開き、競争力『ライフゼロ』の評価が、『世間の正直な反応』かもしれませんね。