仮面ライダー響鬼
15周年記念~anniversary


放送開始から
15年が過ぎて

あの頃の
少年少女たちが
社会に旅立ちました。

今、どうしてるかな。

15年前
既に大人だった
ひとたちも


響鬼は
みんなの心の中に
いますか。


主演として
今も語り合える
素敵な作品に出会えたことに
少し踏み込んで

毎月ファンの皆さんと一緒に
思い出を振り返る最終回です。


仮面ライダー響鬼
に付いて回る話題。

『前半』『後半』

どちらを評価されますかと
質問されます。


主演の立ち位置で
半々での評価はありません。

仮面ライダー響鬼という
48話と劇場版の主演作品は、
一年を通してやり遂げた


ひとつの作品。


放送終了から15年の間、
根拠がない間違いを
呟く方もいますが、

当時、前後半の両責任者との
創作されたエピソードや
公式に存在しない話や噂を
私に被せる改変は
作品を汚すことなので、
否定しておきます。


終了間際、
クレジットを消されたなどの
事実はありましたが(笑)
話題に事欠かない作品です。

嫌がらせや
妨げだったとしても、
気を取られることなく
やり遂げることだけを目標に
成し遂げた万感の思い、

今も当時の思いを
自分なりに
大切にしています。

視聴した誰もが
響鬼への思いがあるように
私の中にある思い出も、
尊重してもらえたらな、
と思います。


15年を機に
綺麗事だけではなく
皆さんに伝わると信じて
踏み込んでみます。


50年前に登場した
『仮面ライダー』という
特撮の歴史を牽引した
メインキャラクターの
オファーを受けました。

縁あってキャリアの中で
ひとつの作品として
通年演じたわけですが、

折り合いの
難しさを感じるのは、
放送終了後から
年月を重ねるにつれ

『肯定感を持たせない』

他の作品では感じない
稀有な性質があることに
気付かされました。


当時葛藤の末、
迷いながらも覚悟し
全力で集中し演じたことに
間違いはありません。

当時少年だった方々へ
出来る限り正しく
自分らしく発信し続けたい、
これも正直な気持ちの
表れです。

しかし、

当時を振り返った時、
労う気持ちがあっても、


『あれはライダーではない』
『新人がよかった』
『失敗作』
『低評価』


などの
罪悪感を与える意見が
届けられるのは事実です。
少数意見の一部ですが
あやふやな
伝聞情報まで切り取り
執拗に作品を貶めたい意向を
持つ声の主。

今更どうしようもなく、
返信する意味も持たない
向き合えない内容に
考えさせられます。

初回に綴った
ライダーファン特有の
熱狂的な意見かもしれません。

そもそも、

コアなファンの環境に飛び込むことは、『仮面ライダーシリーズが好き』、という方々に作品を届ける覚悟を持ち、たくさんのファンの方々と交流する訳ですが、時間経過と共に否定的な意見が徐々に目立つよう扱われ、順位やランキングがつけられ、個人や作品への当たりが次第に強くなり煽られる特異なシリーズの環境が待ち構えていました。

主演した作品に変わりはなく、
思い出は詰まっていますが、
立場上語りづらくさせられ、


『引き受けてよかった』


という気持ちを
他人が削いでいきます。
年月と共に、面識のない匿名者やサイト、掲示板に上書きされていく寂しさ。その声が既成事実化して残り、気持ちに影響を及ぼすほどの強い表現を与えられたら、適切な対応とは何かを考えさせられます。


『良かったね』
『楽しかったね』

純粋な感想はダメな様で、
肯定的な人の意見や感想まで
徹底的に潰しにかかり、
何がそんなに作品が憎いのか、
全否定される方が存在するのは
事実です。


当事者不在の環境の中、
無断利用で利益や収入源を得て、
噂、つぶやき、妄想で
新たな創作を演出して、
再び利益を得る人物、
無法コンテンツビジネスの
温床も問題視しています。

他者の有形無形資産を
無断でちょろまかしても、
脅して言い逃れをしておけば、
なんとかなると勘違いする
実写版の魔化魍。

立場を弁えない
その正体がバレても、
無関係を装い
無断利用する人物、
ヘラヘラ悪態をつくその姿は、
記録されているのに。

特に
信憑性のない損得勘定の
未熟な順位付けを知らされると
アクセス稼ぎの
ランキングビジネスとはいえ、
毎回酷い印象を受け
やめていただきたいと
感じています。

タフさが必要な職業ですが、
所詮人間ですから
時間経過と共に
肯定感を削られる表現は、
次第に罪悪感へと
変化するのが
人の気持ちというものです。

キャストやスタッフ、
当事者不在の場所で
一方的に発言され
作品を貶す側に立ち、
一部分を切り取り
捏造を加えて拡散される行為に

葛藤の末、出演を決めた
個人的な価値観とは
相反する環境が
待ち構えていたことに気付き、
実際は
触れることさえ躊躇します。


15年を経た今も
個別の事情なのか
番組制作者の交代を
特別視されることもありますが、

放送業界では特に
珍しいことではないことは
あまり知られていません。

映画、ドラマ、
撮影現場に於いては
他所の現場でも
交代、移動があることは
調べればすぐにわかります。

放送当時の勢い、
人気は凄まじく、
アイテム、仕草、ロケ場所まで
話題となり、

特撮ファン以外の
一般視聴者の方々からも
興味を惹いた作品になり、
当時のコンセプトに沿った

『完全新生』

に相応しい、
要求された結果を
関係スタッフ皆で
残せたのではないかと、
感じていました。

しかし、

時が経つにつれ、
作品の内容とごちゃ混ぜにした
人事や数字、私個人、
低評価を与えるために
わざわざ切り取り操作した
信憑性のない
玩具グッズ売り上げ数字、
コンセプトの異なる
他作品との比較を
異常なまでに意識させる
アフターライダーシリーズ。

当時の
肯定感を持たせないことが
前提だと思いますが、

キャスト、スタッフの
出入りがある放送業界で、
特別なことではないことは、
知られていることを
わざわざ持ち出し、
拘って話題に乗せる。

主演としては年齢が高く
経験値もあったので
個人的に揶揄されるのは
ある程度は
仕方がないと割り切る
部分はありましたが、

時間経過と共に、
個人の都合で創作されたデマ、切り取り、デタラメに対して容赦ない内容が届けられるとか、今更どうしようもない未熟な意見をぶつけられても『他の作品を見てください』としか言いようがなく、大変なシリーズの大役であったと改めて痛感しています。


当時、正式な公表が
されていないので
仕事上引き受けた立場を
明確にしておきます。


前後半両氏、どちらかを
立てることは存在しません。
また、どちらかに寄せるとか
そんな気も存在しません。

『ひとつの作品』

として
一貫しています。


一年間、
全力でやり遂げた作品を
全て私が語れてしまうのは、
半分しか担っていない
両氏各々と異なる立場であり
この先も変わりません。

ご存知の通り
それぞれ世界観の異なる
デリケートな方々なので
今後もないと考えています。

2005年、
『仮面ライダー響鬼』の
シリーズに限り
自らの意思で参加し、
オファーを受けた出演者として
約束に従い、全て十分に
責任を果たし消化した役割を、

15年を機に
コアなファンの方々にも向けて
正しく本意が伝わればと
思って最後に綴りました。


ただ、

何かが欠けていたら響鬼が
ひとつの作品になることは
不可能でした。

今尚ファンの方々に
思いを馳せてもらえる
作品の存在にはならなかったと
感じています。

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監督、脚本、その他
技術スタッフ、美術スタッフ
俳優部、色々な方々
大勢の方々が
それぞれの立場で意見を交わし
出来上がった
熱い作品であったことに
間違いはありません。

当時、関係者誰もが
視聴者に歓んでもらえるよう
全力で知恵を出し合い、
試行錯誤を繰り返した日々は、
良質な作品を
毎週皆さんに届けるためで、

誰もが一生懸命で
熱量の高い人間が集結した
撮影現場でした。


毎年新人の方が活躍する
立ち位置で
場数を踏んだ自分が
一年を通してやり遂げることは
想像される以上のことで、

体調を崩すことなく、
NHK大河『義経』との
一年間のドラマを掛け持ち、
緊張感を持続してよくやれた、
『奇跡』だと思っています。

黙っていても
誰かがお膳立てしてくれるほど
仮面ライダーの主演という
立場は生易しい環境ではなく、
放送が終了した今も
配信等で度々語られる時、
自分の思い出や
肯定感とは異なる
真逆の内容も残されます。

筆舌では表せないほどの
孤独と重責感が募る
作品ですが、

携わった方々全員が
全力で挑み、二度とない作品、
素敵な思いの中で完了し
達成した作品です。


仮面ライダー響鬼を
語る上で

『一年を通した
ひとつの作品と劇場版』

とお伝えしてきましたが、
また会いたい大切な人が
作品の中で生き続ける
悲喜交々の特別な思いも
自分の中に存在しています。

参加した全員ひとりひとりが、
人生の中で輝く瞬間に
縁あって
同じ場所で集合した結晶。

2005年を皆さんと過ごし、
メッセージを
詰め込んだ作品、


そんな思いがあることを
知っておいてほしい。


描けないほどのコンセプトが
詰まった無双な作品は、
受け入れた方々にとって
いつだって当時の耀きを
蘇らせることができる。

『仮面ライダー響鬼』

という特別な作品。


『少年』という目線から
大人になった皆さんが、
夢中で熱くなった幼少期を
次は、身近な少年たちに
かっこよく語り継ぐ番です。

厳しく世知辛く、
激変していく社会を
大人として味わい進む中、

『鍛える』

という言葉の意味を
自分の目線で
少年たちへ語り継ぎ、

模範となる大人として
踏み出していく。

一昔前の作品ですが、
いつまでも
そんな作品であってほしいと、
願っています〆