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悲しい事件の後からテレビに興味なくなりました。出ている人が皆汚らしく思えて。
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最近、

彼がショートコントに
挑戦している動画を
視聴しました。

あまりの器用さと
品の良さに
改めて驚きました。

でも、

何ごとも一流に、綺麗にスマートにこなしてしまう才能の高さを、誰もが評価するとは限らない残酷な環境です。

完成された才能は
『嫉妬』を招く。

難しい表現ですが、
幅を広げず
『ドレスダウン』的な
手抜きを備えてほしかった。

これは、

非社会的な田舎根性、
極端な排除の村意識、
無関係な相手にまで及ぶ
妬み僻み嫉み、
おかしな商売敵意識。

前向きな人間ほど
『圧力』『いじめ』
により潰され
衰退していった歴史と
重なります。


認め合い人を尊重する
意識の国づくりであれば、
国際的に、各分野で
今より中心的な役割を
得ていたはず。

結果として
成長、成熟、発展
できなかった一因です。


今はどうでしょうか。


メディアの中にいる
獅子身中の虫一匹で
個人への圧力、いじめが
可能になりました。


過干渉する割に


裁判決定の重みや、
提出された客観的証拠、証明した本質すらまともに理解できず、報道するスキルも極めて低いレベルだと知りました。

責任を問われ始めると、
その都度不合理な説明で
あやふやな言い訳の変遷を
繰り返し、つじつまが合わず、

損害、損失を与えたまま
逃亡する加害者の魂は
捻り潰さなくてはならない。

裏の顔は無駄に大きいが、
表では何も示せない蚤面、
この事実こそが証拠であり

『表で証明します』

と動く人間が、
どれだけ高潔で
道徳的かということです。

興味を失う背景の理由は
既に出ています。

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最近はまったくテレビを観なくなりました。自分なりにいろいろ考え調べるうちにテレビやマスコミがいかに信用出来ないか分かりました。
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『つまらない』『信用がない』

観る側を
理解しない者が携わり、
安易な『持ち込み企画』
が増えたと思います。

『加工品』

本物を知る皆さんは
ダミーの横行を
見抜いていると思います。
上っ面、上辺では
誤魔化せないのです。

厄介なことに
加工品ほど加工で悦び
ニセモノ程はしゃぐ寒さ。

監視の眼は
気持ちの表れです。

加工品、ニセモノの正体で
思い浮かぶのは、
裁判所に提出された文書、


『事実は小説より奇なり』
を実感したことです。


人災を与える
信用のない傀儡者の頭の闇を
公文書で晒す公正な場所が
裁判所です。

例えば、

客観的証拠すら
白を黒に塗り替えようと
腐心し始める者の正体、

司法の場でも
情報をすり替え
自己保身しか探らない
姑息な性根を明確にする場所。

『罪悪感』

を微塵も持たない腐敗者を
何度も、何十人と見ました。

信じがたい印象操作、
アクロバットに物事をひっくり返し、さもお前が悪い、お前の落ち度を加工してやった!と息巻きながら、事実を誘導しようと試みる『善悪』『真偽』の基準がないまま繰り広げる『弁論テクニック』とか、何を磨いてきた先生なのかなと考えさせられる、本物の法廷場面は『ニセモノ』『加工品』『ダミー』の見物です。


良心の呵責のない相手を
見続ける経験をすると、
強い気持ちが深く刻まれます。

法廷こそ、
社会の縮図です。

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以前はキラキラと輝いて見えた芸能界も、今では怖い世界としか思えず、日本の芸能は終わったなとさえ感じます。

あらゆる情報には、必ず、発信元の隠された意図があり、その後ろに、情報操作を支持する者がいる事がいるということを、ハッキリと理解することが出来ました。
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皆さんの叫びが響きます。

新型コロナも重なり、
魅力、求心力を
喪失した産業の行く末は
顕著に表れています。

『信用』を大切に
作る側、出る側、観る側の三位一体で進めば、心踊るエンターテイメント、楽しみなコンテンツになり得るのに、

日々くだらない情報で
脳への弱体化と
軟弱体型を流行らせ、
気付いたら、防衛本能まで
放棄させられる勢いです。

おかしな情報が万延し
洗脳された行く末は、
何かへの『服従』が
待ち受けていると
警戒するのが自然です。

現実から離れ
純粋に楽しめる場所、
心を癒し豊かにする場所、
気持ちを明るく
前向きにできる場所だった。

エンターテイメントが
たくさんの人々の
心を動かし
気持ちを揺さぶる
ひとときだった。

そんな根本を
喪失させられたのは
残念で仕方がない、
同じ気持ちですが、

新たなエンターテイメントが
誕生することに期待しています〆