仮面ライダー響鬼
15周年記念~anniversary


放送開始から
15年が過ぎて

あの頃の
少年少女たちが
社会に旅立ちました。

今、どうしてるかな。

15年前
既に大人だった
ひとたちも


響鬼は
みんなの心の中に
いますか。


主演として
今も語り合える
素敵な作品に出会えたことに
少し踏み込んで

毎月ファンの皆さんと一緒に
思い出を振り返ります。


未完成の美学

以前インタビューにて

『仮面ライダー響鬼に
          未完成の美学あり』

と表現をしました。


『未完成』
に含まれる意味

それは

響鬼からの
強いメッセージです。


『少年』『少女』
の未完成な部分。


その時間は
とても強い輝きを放ち、

しかし
とても脆く、儚く、

美しい時間です。

未完成の時期に
何を見たか。
何を感じるか。

そして
何を信じるか。


未完成の時期に
得た思いは
生涯、自分の中で息づき
忘れることはありません。


『未完成』が魅せる
美しさとは


完成や目標に
向かう間、
挫折や葛藤を
何度も繰り返し

その経験が礎となり
「自分」という存在が
形成されていく素晴らしさ。

『鍛える』基本です。


一年間を通して
綴られた物語は
いつか最終回を迎えますが

『未完成』の部分は
作品の魅力として
ファンの方が語り継ぐ
余白です。


余談ですが、

もし、
信長公が本能寺で
討たれていなければ
日本の歴史は、全く別物になっていたであろうという時代の転換点を生きた人物だからこそ、信長公は未完成であり、『本能寺の変』には、歴史を語り継ぐ大きな浪漫があります。

『未完成』には
浪漫があるのです。


仮面ライダー響鬼という作品を
とても特別に捉えていたり
中にはアンチな方々が存在することは、当時から耳にしていました。

コンセプトが深く
全てがセオリーに
ハマらない斬新さ、

既存のお約束や
いつもの
パターンではないから
両論に分かれるようです。

人によっては
物語だけでなく

誰かが何らかの目的で掲出した一部分だけのグッズ売上や、視聴率まで引き合いに出し、15年経た今も作品内容以外の部分に拘る熱心な方からもコメントをもらいます。当たり前ですが、私が全てを答えようがありません。

ご自身で全メーカーと
リサーチ会社に問い合わせ、
歴代の正確な数字を、当時の責任ある立場からの、改ざん操作のない公表であることを確認して比較しないと確実な数字は誰にもわかりませんが、どうしても気になるのであればトライして、正確な数字を比較調査されたらいいと思います。

『推し作品を比較したい』

これも
ライダーファン特有の
捉え方だと教わりました。

毎年
全く異なるテイストの作品を
横並びで比較したり
順位付けすることに
何の価値があるのかは
わかりませんが

一方的な不確実さで
比較することは
ちびっこの思いや
子供の頃の気持ちを
破壊する行為でしかない。

好きもあれば嫌いもある。
あれも好き、
これも好きもある。
全て嫌いもある。

『好き』を語るか、
『嫌い』を語るかは
個人の自由ですが、

作品の安易な順位誘導は
ビジネスランキングの
情報操作だと知るべきで、

結局15年経て語るものが
作品の内容外なことが
悲しい風習だなと思います。


子供の頃は
コンセプトが難しくても

年齢や経験を重ね
環境が変化する中で
再度鑑賞すると
受け止め方やメッセージが
変化する、稀有な作品です。

まったり進む展開
でも、
時には素早く展開させる
アクセルも融合した
唯一無二な作品になりました。


未だに、
『前半』『後半』と称して
色々聞かれることが
ありますが、

一年間のドラマ作品には
当然展開を考えるポイントが
制作陣にはあります。

自分は主演の立場として
一年間を通して
向き合い演じきった
「ひとつ」の作品です。

好みはあると思いますが

分断に導いたり、
パーツで見る作品など
存在しない。

そういう見方も含め
仮面ライダー響鬼は
『未完成』
であり続ける。

それが浪漫であり
『未完成の美学』です。


来世、もし
完成を目指す気になった時は、

『いのくままさお』

名カメラマンと共に。

昨年、坂本監督と三人で
おやじ同士、
未来の約束ができました。



くまさん、
またいつか会おうね〆

(つづく)