『武将短歌』


放送で紹介して頂き

嬉しく思います★


気持ちを歌に託すと

自分の心が見えるものです。


豪雨被害を受けた地域の方

新型コロナウィルスも

蔓延する中


強い気持ちが持てるよう

早期の終息を願い


疫病退散★


今回は

『神像なりきり短歌』


『日光大猷院編』


にて、力強く詠ってみました。



雷神の 

手指が示す 過去未来 

天地に届け 除災招福★


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


雷神様が示す指の意味。


現在も未来も天も地も

この災禍で一変。


不安定な社会の中

生きる意味を何に見出すか

誰もがやりきれない

辛く、報われない時代の中へ。


生半可な心意気では

心折られてしまう。


支えになるものが何か、

誰もが探している。


こんな時は

全く別の新たな社会へ

方向転換をするんだと

強く言い聞かせ、

自分の向かう先を

手指で示してみる。


「招福」は

自分次第でどうにでもなる。



阿跋摩羅 

霊廟守る 立ち姿 

善心纏う 熱い魂★


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


罪を犯しても無罪。


それを追及する

熱く善良な魂をもつ人が

なぜか、妨げを受ける。


ネガティヴな部分から

目を逸らせ、

責任転嫁と誤魔化しで

かつてはあった筈の

良質さは朽ち果て

何もかも落ちぶれる。


奢り高ぶり自浄せず

私利私欲を肥やす

異常な中抜き、搾取構造の

拡大が拍車をかける


卑しさ。


楽しくないね、発展しないね

誤りだね、増益しないね。

見向きされなくなるのは

当たり前だね。


善心は人間の基本。

匿名、集団になると

失くす、善心とは?


家光公の霊廟を守護する

阿跋摩羅(アバツマラ)の

立ち姿には

一点の曇りもない。



風よ押せ 

義を見てせざる 勇なきなり 

不敵に微笑え 今の時代を★


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「承知していない」

「存じ上げない」「検討する」

「答弁は差し控える」


惚けた対応で

世の中を渡る大人が

少なくないと、若者たちは

知ってしまった。



「義をみて為ざるは

          勇なきなり」


正しくいられない人間は弱虫。

正しいことを知識とし

自信を持って心し行動せよ、

という意味。


世には
「福の神」と「貧乏神」
の区別すらつかない
究極の戯けも存在する。

貧乏神。


損失、損害を与え

口八丁で欺く。


戯けらは貧乏神を

福の神と信じてる。


貧乏神の言うがまま
すってんてんになっても拝み

戯け者から正真正銘の

「貧乏神」「厄病神」へ。


戯けは、

普通とは異なる姿で

蝕む相手を探している。


でも、


違った角度から捉えれば

案外、不敵に笑えてしまう。


貧乏神、厄病神に

感染しないよう

不正な匂いがする相手には

笑う、嗤う、ワラう。


微笑って退散させる。


動乱の災禍は

おかしな者が出没し

表面化する。


命を守る、

人を大切に思う人々によって、

より良い社会へ

進んでいくことを切に願う。



最近は、懐かしい方々から

たくさんの連絡が届き

とても嬉しく思っています。


僕の中で大切な人たち。


真心を受け取ると

どれだけ大きな原動力になるか

みなさんに繋ぎます。


真心をありがとう。


様々な感染に用心して

備えましょう★


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