思い半ばにして
命を落とした人も
いるというのに
日々、誰かを
社会から排除したくて

うずうずした
空気が続く。


人を追い詰める
『号令』。


社会からの抹殺と
排除が始まり、
同時に配信という
無法地帯に放り込み
人権、人格を根こそぎ奪う
糾弾という名の連射が続く。

一方的な内容
実在するかも疑わしい
どこまでが架空の構成か

事の全体像を実は誰も、
よく知らないのに
いっちょ噛みしたい
者までが放つ
適当な断定や勝手な憶測は
全方向から刺す矢となり
不気味な声として
しっかり相手を傷付ける。

標的にされた僕。

別人格が
捏造されたことを
思い出させる。

命が消えても
繰り返す。

無関係な相手に
強い興味と憎しみを
執拗に持つ社会。

いずれ
自分の生活に直接関係する
不祥事の先への追及は
大声にしない社会。


何故だろう。


家族や親族の胸中は
察するに余りある。

変わらない習性や
都合のいいリテラシーは
罪深いよね、

毎日。


悪質な言葉、誹謗中傷

憶測、伝聞、捏造でしか
表現できず
一方的に干渉して
誰かに標的を定める。

情報を確かめない
無関係で無意味な者とも
関わらなくてはならない
情報社会の深刻さは

多角的な規制を整え
各々がリテラシーを正しく
自覚する段階にある。

誹謗中傷と批判は異なる。

個人を徹底的に
リンチすることを
否定しない社会。
袋叩きが肯定される様子が
流される

悪夢。


言いたいことをカメラの前で
直接本人に言わせず
好き放題に煽り立てる。

騒ぎになってから便乗して
誹謗中傷の言い分を
見つけ出す。

『いじり』と称して

罵らせる構成と芸風こそ
いじめの見本だと
良識者には気付いてほしい。

その発言が瞬く間に
記事化、動画化される
連携体制を築き
エンドレスの迫害。

全て不確かで片側だけの
一方的で不快な

ワンサイド情報。


不確かなものを信じこませ
誘導する『支配』。

情報の支配、順位の支配、
そして概念の支配。

情報番組等で
「ネットの意見ですが」
「ネットでは」
「私が聞いた話によると」と、
どこの誰がいつ何を思い話し
また、ネットに発信したか

その事実さえ分からない
匿名、配信内の言葉を拾い上げ

一般世論のように
全国へ洗脳する傾向が
見受けられる。

なぜ不確かなものを
掴ませようとするのか。

これは情報誘導に近く、
意見として全く根拠がない。

客観的だよ
公平中立だよ、と見せかけ
実は一方的な
『主観』を押し付ける
印象操作。

信用できる
情報筋と言えない。

扱う側ですら
発信者が何者かさえ
語れない無理筋だ。


『統計グラフ』『世論調査』
『ランキング』と称した
ビジネス広告事案も
昔から多々散見する。

図式化された情報は
記憶に残る。
しかし、実のところ

順位の根拠、信頼性、ソース元が何も示されない、いや示されたとしても、信用できる理由が見つからない。

PV数、いじり回し
アクセスカウンターも
上がらないように人為的操作、
夜中の時間管理で
侵入したり、閉鎖したり。

不正なカウント、エセランキング誤作動矢印の表記など、数え切れない不正、改ざんに恥はない。

違法な相手でも
依頼されたら
躊躇はしない何でも屋。

不思議なサービスだ。

不思議な人、
駄文情報を見せ
見たい人、
有益記事は隠蔽。

プラットフォームは
意のままの不正。

これまでも
ステルスマーケティング、
(ステマ)
フェイク広告、情報誘導、
都合のいい順位操作
意図的な改ざん、
これが印象操作だと記したが

これらこそはっきりと
『不正だ』と、
言うべきものではないかと
心底軽蔑している。

身を置いてしまった人間として
日々証拠をとり
いつでも証明できるように
細心の注意を払っている。


新聞、テレビ、ラジオ、雑誌に

インターネットが加わった
ジャーナリズム。

ジャーナリストの
真面目な報道もあれば、
不都合な真実を
歪める媒体もあるのは事実。

捏造創作、印象操作、
情報操作、情報誘導が
自粛要請期間中に
かなり見えやすくなった。

長時間の在宅で
逆に
放送を遮断する世帯も
増えた。

テレワーク、リモート会議、
オンラインMTG、リモート授業
繋がるものが無数にある中、

周りに煩く迷惑行為になり
内容が不確かで
リテラシーが損失した
情報なら
OFFにするのが自然だ。

内輪の歪んだ楽しみは
悪影響でしかないのに。

退屈だから
つまらないから
信用がないから

更に自滅していく。


昨年、SNS運営事業者
プロバイダーの弁護側へ
発信者開示請求の裁判時
発信者のデマ内容について
指摘した。

公的効力のある
確実な資料を提出し
明らかなデマ内容だと
理解できるにも関わらず

「公益性があるから
    開示はしたくない」

と反論。そうか
妨害に荷担側なんだよな。

揺るぎない事実への反論が
デマを流す公益性?

真実よりデマ(笑)

異常だな。


公益性とは、
『不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与すること』とある。

世界中に届く
インターネット上で
デマを流す記事や
人の人生に関わる
言われのない誹謗中傷ブログや
事実無根の書き込みが
誰の利益となるのか。

それこそ
デマを流したい
野郎たちの利益だ。

運営事業者さんが
公の場で主張した
デマで得る利益の保護?

デマでもウソでも
捏造、創作でも何でもよく
利益第一の運営事業者、
プロバイダーです、と
言い放つのは何故だろう。

一部だが、これが
発信者開示請求、
プロバイダー裁判の現実だった。


ネットサイト、ブログ、
SNSを利用して
デマを流す公益性の
具体的な根拠と説明を求めたが
回答はされなかった。

流石
言うだけ番長の先生方、

言い逃れ、捨て台詞に
頭を使ってくるから
裁判所、司法が
必要になるわけだ。

厄介だな。

そんな弁護をするために資格を取得したわけじゃないだろうに。

理解しているからこそ
正しい相手をスルーして
一目散に逃げなきゃな。
言い訳すらあやふやで
間違ってるから。


裁判は実に面白い。


野蛮な相手が
どんどん正体を晒しはじめ
記録に残せる場所に変わるから。

証拠を残せたら
永久に言い続ける。

そして
信頼できる場所全てに
複製を届ける。

身の安全のために。



回答や説明が出来なくても
何でも言えばいい
何でも主張すればいいらしい。

上場企業として
めずらしい社風だ。

公文書に
生き恥を残してまで。

提訴された
上場企業の運営事業者さんが
後々恥ずかしくないよう
真面目に弁護した方が
先の信頼を
失わずに済むと思うが。



いや待てよ?

代理人を通し発する
『企業側』のリテラシー
ということだ。

デマこそが公益、と
揶揄して来たのかな。

SNS運営事業者さんは
肝腎な箇所を未回答なので
裁判官にも相手にされず
発信者開示請求の
司法判断が下され

発信者は全て
開示された。

SNSは
皆が自由に表現し交流して
楽しむ場所だが

デマ拡散者や
誹謗中傷犯の特定でさえ
運営事業者は
無駄に庇い、無駄に時間を
浪費させ
終始協力的ではない。

当該プラットフォームが
世間からとても嫌われ、
かなり馬鹿にされている
理由がよくわかった。

やはり
見透かされてる。





他国は既に
この同じ状況を受け
動き始めている。

悪質なネットの書き込みで
通報を受け
24時間以内に削除しないと
SNS事業者には
約60億円の罰金が課せられる
ドイツ。

これを受け
Twitter社は半年で
約15万件の発信を削除。

イギリスでは
発信者の特定が容易にできる。

マレーシアは
国家秩序を維持するため
捏造情報を流した者は
重罪に問われはじめている。

この機を逃さず
SNS運営事業者と
利用する発信者に対して
責任の所在を明確にしている
国際社会、真の先進国に
日本のリテラシーは
追い付けるだろうか。

現実社会で犯罪になるものは
何れネット上でも
同罪のルールになる日は
そんなに遠くないと思う。


ネット情報は
もはや最も有益な
情報インフラに変わった。

個人に善悪が伴わないなら
企業側へも
規制を強化して
協力してもらい
法律を改正し厳罰にされても
仕方がない。


デマ、捏造、憶測、

創作、でっちあげは
表現の自由ではなく
『公益性などない』という
裁判決定が下された。

当たり前だ。


過去の歴史を振り返ると
いつの世も、悲しくなる程
正しさだけでは動かない。

それでも、いつの世も

『正しく動け』と願う
健全な人間の方が
大多数だということを
間違えないでほしい。

擾乱のネット社会でも
正しく利用すれば
現実社会と同じくらい
温かい、人のぬくもりと
眩しいくらいの正義が
存在できる。

マスメディア、ソロメディアに
携わる方々は
正しい公益性を持ち
正しくリテラシーを使う
義務と必要がある。

今こそ基本に立ち返り

個人の不要な感情を
煽るのではなく
既得権、権力を監視する
本来の熱い正義を見せて、

ジャーナリズムのリテラシー
真の格好良さ、仕事振りを
世間に教えてほしい。

売上げは確実に上がり
それが世間からの信頼を
正当に得ることなのだと
知っているはず。

大切なのは
弱い個人の立場を守る
『真実の追及』だ。

生き残りをかけ
思い切って悪事に
突撃してほしい。


情報社会は
銃社会と重なる。

言葉という銃弾を
悪用するかしないかは
本人次第。

リテラシーは
ルール、マナー、常識となり
各々に
突き付けられている。