自粛生活が
日常の一部になったことで
色々なことに
気付いた方も多いはず。

子供たちは
やはり逞しい。

たくさんのアイデアで
楽しく乗りきる術を
よく知っています。

それが
正しい過ごし方。

我々大人たちは
非常事態宣言の間
何が重要かを
幾つも気付かされました。


まともな
情報を得たつもりでいても
実は情報発信側の
意図的な

『情報操作済み』

の偏った情報を、
無意識に集めている
可能性が高いということも
今回改めて知った事実。

興味の有無に関係なく
どんな情報も鵜呑みにせず、
必ず立ち止まり、
正確なソース(情報元)
があるか
まずは確認してみることが
必須だと
改めて気付かされました。

命に関わる
大切なニュースでさえ
デマ・ガセ・フェイク
捏造が飛び交う日常と
何でも茶化す風潮。

マヒさせられて
情報を鵜呑みにさせられるのは
現代の『毒殺』。

 
そのソース元の情報は
『捏造』かもしれない
と、常に頭の片隅に置く
警戒感でちょうどいい。

何気なく見た映像
もっともらしく語る人
肩書きがある人の発言を
見聞きしたとしても

全ての情報を真に受けず
一旦躊躇しないと
情報弱者はカモになる。

正しい情報を
受け取れないなら
勝手に流されてきたものは
疑って、また疑って
まだ疑い、もっと疑い

判断するまで時間をかけて
ちょうどいい
情報社会の到来。

疑うことは
気分の良いものではないけれど
溢れる情報の中での生活だから
仕方がない。

判断できるまでは
『今はわからない』
と保留する覚悟。


あやふやな情報に
過剰に反応する危険。

調べず、考えず、干渉して
安易なデマに気付かず怒り狂い
間違ったままの断定から
感情論を付け足し
無責任に捏造を拡散しては

今日もまた
誰かの名誉を深く傷付け
汚名を着せて排除する
差別社会、偏見社会が
更に加速した。

フィクションで
湧き上がった感情で
排除をしてしまう
ノンフィクション。

日常的に
加害者が量産され
被害者は更に倍増していく
捏造情報の加速社会。

大きく捏造して騒いだ後は
間違いを指摘されても
無視、あるいは目立たぬように
小さく訂正。

コンプライアンスは
社会で最も大切なこと。

デマガセウソで
優位に進めることは
意図して欺く行為であり

コンプライアンス違反があれば
訂正、お詫び、謝罪などを始め
社会を裏切った代償として
取締役などの責任者が
社会的な責任を
取らなければならない。

『それが正しい
 コンプライアンス』

だと浸透させることが
健全な社会活動。

責任逃れで
正当性は得られないのに
追及される日が来ることを
軽く考えている
想像力の乏しさ。

厳しい目ではなく
常識とは何か
改めて考えさせられる。


ネットには
検索ヒットしないように
『検索除け』という手法、
テクニックがあることも
教わった。

ほとんどの人が
騙されたまま
訂正、修正、お詫びを
正しく知ることなく
間違った情報のまま
上書きできないで
明日を迎えさせられる。

社会活動が休止され
社会を見つめ直すことになった自粛生活の中で、よく見て考えてみれば

本当に、少しも
全く見る価値が無い
情報や広告もあるんだなと
わかってしまった方も多いはず。

何で此処と此処に
不正な関係性があるのかも
考えさせられた。

自省もせず
自浄のない驕る場所に
どれだけの価値があるのか
概念を覆させられる場面が
短期間で何度も
繰り返されたから。


価値があるものを
知った方がいい時代から

『価値がないもの』

をたくさん
知るべき時代の到来だ。

これはくだらないよ、とか
これは不公正、不健全だよ、
無意味だよ、無価値だよ
不自然だな、と
どれだけ根拠を語れるか
視点を変えることを覚えた。

意味もなく執拗に
誰かを攻撃する場面も
日常に溢れていた。

この攻撃性は
一体何だろう。

狂気の攻撃性を
日常的に見せるのは
『分断』が
目的だろうか。

攻撃するばかりで
自らを省みることや
自浄もなく
相手の立場など一切考えない
驕る体質。

この姿勢を
看過してはいけないのに
なぜか強制的に
許容させられて
いないだろうか。

裏どり、証拠、ソース
実は存在しないのに
適当に創作して
干渉しにやってくる。

いい加減な発言、発信は
責任を問われることなのに
被害と損失だけを与え
罰則のない不公正さ。

能動的に
取りにいく情報と
ONにすれば
垂れ流される情報は
同じではない。

強力な洗脳力を持つ
情報発信に対しては
正確性が厳しく審査され、
誤りには
合理的な規制が当たり前。

傲慢な対応や
不誠実さの表れは
自分たちは物凄く
偉いと思っている
自惚れた

『過剰評価』
『過大評価』

そんなことも
短期間のうちに
何度も繰り返された。


警戒する人間を
面倒なヤツ、堅物だと表現し
調べて質問する人間を
うるさい、細かいと表現する。

騙す側は騙すなりの
返し言葉や悪知恵の
パターンを
いくつも持っている。

そんなうつけに
惑わされない

『骨のある人間で
あり続けること』

言い回しは
古くさいかもしれないけど、
誰もが本気で
立ち返らないと
簡単に餌食にされ
社会的な迷子になる。

逸る気持ちを一旦抑え、
急がず音を消し息を潜め
立ち止まったらいい。

立ち止まることは
落ち着いて
正確に進むことであり
急がずに
真意を確かめることの方が
重要な時代であった
あの戦国期と同じ。

緊急事態には
何を考え、何を判断して
どう周りを見るか。

その情報源は
信用に値するのか。

新たな社会環境の中
これからの自分自身と
うまく付き合い
今こそ子供たちを見習い
正しい過ごし方を
見極められるように。