アスリートの発言で、

一番嫌いな言葉。

 

 私はスポーツ観戦が大好きです。色々なスポーツのテレビ中継があれば、必ずと言っていいほど観ています。最近はそこで、涙腺が弱くなったのか、沢山の感動や嬉しさ、また、勝負に厳しさなど、心に刻まれるようなひと時をもらっています。

 試合の終了後には、活躍したアスリートにインタビューがあるのですが、ここで私はいつも気になっている言葉が有ります。

 それは、殆どすべてのアスリートの人たちは、自分のプレーで観ている人たちに「感動を与えたい。」という言葉を使います。この言葉が疑問です。

 感動を「与えてくれている」らしいです。私たち観戦者の人たちに、アスリートの人たちは。

 この言葉を使うのは、特に、日本語をきちんと勉強してこなかっただろう、中途半端な感じのアスリートに多いような気がします。

 

 まず、「与える」という意味は、

 

小学館「デジタル大辞泉」

 自分の所有物を他の人に渡して、その人の物とする。

 現在ではやや改まった言い方で、恩恵的な意味で目下の者

 に授ける場合に多く用いる。「子供におやつを—・える」

 「賞を—・える」

 相手のためになるものを提供する。

 「援助を—・える」「注意を—・える」

 ある人の判断で人に何かをさせる。

 ㋐相手に何かができるようにしてやる。配慮して利用する

 ことを認める。「発言の自由を—・える」「口実を—・え

 る」

 ㋑割り当てる。課する。「宿題を—・える」「役割を—・

 える」

 影響を及ぼす。

 ㋐相手に、ある気持ち・感じなどをもたせる。「感銘を

 —・える」「いい印象を—・える」「苦痛を—・える」

 ㋑こうむらせる。「損害を—・える」

 

岩波書店「広辞苑」

 相手の望みなどに対応するような物事をしてやる意。

①  自分の物を、目下の相手にやる。授ける。

②  影響・効果などを、相手に被らせる。

③  仕事・課題などを課する、あてがう。

④   前提として、所与のものとする。

 

 他の辞書でも、大体が上記の意味と同じような感じで、目上の人から、目下の人に対する表現の言葉となっている。(年齢の意味では無いが……。)

 という事は、インタビューに答えているアスリートは、私たち観戦者の目上の人という事になるのでしょうか?上から目線の発言をいつも受けているようで、インタビューシーンになると映像を変えてしまいます。

 

 当然私としても、自分のできないスポーツを追求している人たちですから、リスペクトは大変しています。でも、あなたたちの目下の人ではありません。観戦している私たちが「感動を与えてもらった。」というのとは意味が違うと思います。この時はリスペクトに対してのお礼です。

 

 同じ言葉でも「感動を与える」ではなく、「感動して頂けるように頑張りました。」とか、「感動をして頂けたなら、アスリートとして私も嬉しいです。」とか、「もっともっと感動して頂けるように、日々励んでいきますので、応援よろしくお願いします。」など、「与える」ではなく、「してもらう」とか「頂きたい」とかの、相手を敬ったちょっと遜ったようなコメントを出して頂ければ、素晴らしい選手だと思い、もっともっと応援してしまうのです。単純な私としては。

 

 しかし、日本語は常に変化していきます。だから辞書も版によって語釈が変わることも多々です。もしかしたら、今の日本は「与える」は、目上から目下ではなくなっているのかもしれません。

 

 間違っているのかなぁ~、私の考え。

 単なる昭和のおじさんの僻みや妬みなのでしょうか。