わたし的、テレビ番組の歴史 3
1961年~1962年
この時期は、現在にも続く
色々な番組の元祖系が登場します
1961年(昭和36年)
前年、池田隼人総理が、1961年4月からの10年間で国民総生産(GNP)を2倍以上に引き上げ、西欧諸国並みの生活水準と完全雇用の実現を目標とする「所得倍増計画」を発表した、その1961年が来た。この時代は、神武、岩戸の両景気に続き、オリンピック景気で、日本が俄然活気づいていた頃。
世界では、4月にソ連が世界初の有人宇宙飛行を成功。ガガーリン少佐(中尉から特進)の「地球は青かった。」は、有名なコメント。その1か月もたたない5月5日にアメリカも成功させ、米ソの宇宙開発戦争が始まる。
またベルリンでは、東ドイツが東西ベルリンの境界を封鎖。壁の建設が始まった。
日本では子供たちの好きなものは、「巨人、大鵬、卵焼き」。高校野球で、我が神奈川県の法政二校が、柴田勲選手の活躍で、前年夏と、この年の春の連覇を成し遂げ、役者の世界では、10月20日に芸術座において、前人未到のロングラン公演・森光子さんの「放浪記」が、初上演された。
そんな1961年のテレビ番組としては、まだまだ私は幼稚園前なので、チャンネル権は父親が握っていました。
では、そんな時に放送されていた番組は……。
○1961年放送開始の主な番組としては
「娘と私」 NHK 1961年4月3日~1962年3月
NHK朝ドラの第一作
当時は1年間の放送
8:40から20分間の放送
主演 北沢 彪、北城由紀子
「みんなのうた」 NHK 1961年4月3日~現在も放送中
子供達に流行歌ではない歌を提供する5分間の音楽番組
最初に放送された楽曲は「おお牧場はみどり」
「ふじぎ少年」 NHK 1961年4月3日~62年3月31日
手塚治虫原作、演出 辻真先(今は作家)
時間を止められるサブタンという少年が事件を解決する
今のようにCGではないので時間が止まっているシーン
は、出演者は動かず、その場でじっとしている。
主演 太田博之
※「時間よ止まれ」この言葉は、子供たちの流行語に
「ものしり博士」 NHK 1961年4月6日~69年4月5日
科学や歴史、日常の疑問などを、子供たちに分かり易く
説明、夕方17:45からの15分番組。
「ケペル先生、こんにちは!」で始まる。
先生は着ぐるみ系人形で上半身だけ出ている。
声: 熊倉一雄
※この番組は、小学校に入学してから大好きに
「夢であいましょう」NHK 1961年4月8日~66年4月2日
生放送の音楽バラエティ番組
出演者が、初代ホステス役を中嶋弘子、2代目が黒柳徹
子他、永六輔、中村八大、坂本九、渥美清、越路吹雪、
水原弘 等々 当時の人気者総動員の感じ。
「スチャラカ社員」 大阪朝日放送製作のコメディ番組
関東ではTBS 1961年4月2日~67年4月30日
「海山物産」の大阪支店を舞台に、女性社長と支店長、
無気力な中年社員に若手社員が繰り広げる騒動を描く高
度経済成長時代のサラリーマン・コメディである。
舞台は会社の一室で、公開録画(原則として月曜の昼休
みの時間帯にABCホール(初代)で行われた。その為場
面転換もなく、出演者の話芸のみで展開された。
主演 ミヤコ蝶々、横山エンタツ、
中田ダイマル・ラケット
「少年ケニア」 NET 1961年5月4日~62年2月8日
原作 山川惣治
(1951年~55年まで「産業経済新聞」(現:産経新
聞)に連載されていた。)
アフリカのケニアを舞台に、孤児になった日本人少年ワ
タルが、仲間のマサイ族の酋長やジャングルの動物たち
と冒険をする物語。
※主題歌の冒頭「アフリカだ、ジャングルだ」は、今
も、頭の中を駆け巡る時もあるくらい、印象的だっ
た。
「ナショナルプライスクイズ ズバリ当てましょう」
フジテレビ 1961年8月5日~82年3月27日
視聴者参加型のクイズ番組
テーマに沿って登場したものの値段を、ノーヒントを当
てるクイズ「値段当てクイズ番組」の元祖。
初代司会者は泉大助、後に出門英、石坂浩二等も
※オープニングで「明るいナショナル」(作詞・作
曲:三木鶏郎)をバックに気球に乗ったナショナル
坊やが松下電器本社工場の上空を飛び回る15秒のオ
ープニングキャッチが流れた後、引き続いて解答者
席横のドアをバックにタイトルロゴと放送回数のテ
ロップが映し出されながらテーマ曲が流れた。この
曲が、私が覚えた最初のCMソングかもしれない。
「夏休みまんが大会」 NET 1961年8月1日~8月31日
夏休みの朝の特別編成(関東ローカル)として、『七色
仮面』と『アラーの使者』を月 - 土10:45 - 11:45枠で
再放送。
以後1986年まで四半世紀に渡って夏休み朝に放送され、
「夏の風物詩」となるアニメ・ドラマ再放送枠(時期に
よって別名称有り。)が始まる。
※この番組は小学校卒業まで観ていたような。
「七人の刑事」 TBS 1961年10月4日~69年4月28日
警視庁捜査一課の刑事7人の活躍を描く刑事ドラマ。
今も続く、刑事のチームは7人というのはこのドラマか
ら激しいアクションより、刑事、犯人の心がテーマにな
っている。
1970年代には新メンバーで新シーズンも放送された
主演 芦田伸介、堀 雄二、佐藤英夫、天田俊明
「特別機動捜査隊」NET 1961年10月11日~77年3月30日
実際のドラマの放送は11日からだったが、前週の4日
に、今で言うなら番宣的な放送を、「七人の刑事」にぶ
つけて放送している。
日本のテレビドラマとしては、初の1時間連続ドラマと
してスタートした。基本プロットでは事件発生のいきさ
つから犯人逮捕までの過程における捜査活動に重点を置
いていた。
15年間801話まで続き、60分刑事ドラマでは最多放送
回数
出演 波島 進、伊沢一郎、宗方勝巳、森山周一郎
1962年(昭和37年)
3月にはテレビ受信契約者が1000万を突破、普及率は48,5%となった。
世界では、再び世界大戦がはじまりそうになった「キューバ危機」が大変だったが、日本では、堀江謙一さんが、世界初の小型ヨット(マーメード号)で単独無寄港太平洋横断に成功した明るいニュースが。
テレビ界では、 電電公社が、テレビネット用のマイクロ波回線を東京→大阪間で高規格化し、カラーテレビ伝送の暫定運用が開始(翌月1日から正式開始)。これにより、東京のNHK(総合・教育共)と日本テレビからの番組が、NHK大阪放送局と読売テレビ放送へそれぞれ、同回線を経由しての放送が開始され、ネット回線での東京・大阪同時カラー放送が実現するようになった。
また、8月からは、日本初のテレビ番組専門誌「TVガイド」が、東京ニュース通信社から発刊される。
9月には、テレビ視聴率の調査会社「ビデオリサーチ」が設立され、番組と数字の戦いが始まったのもこの年。
あのビートルズがデビューしたのもこの年だが、今話題のジャニーズ事務所が設立されたのもこの年の6月でした。
テレビ界が変わり出したこの年、そんな時に放送されていた番組は……。
○1962年放送開始の主な番組としては
「みんななかよし」NHK 1962年4月11日~87年3月18日
NHK教育テレビの小学校高学年向けの学校教育番組
放送開始当時は、年齢的に関係ないのですが、該当年齢
になった時は、視聴覚教育で、学校で観ていました
「てなもんや三度笠」 大阪朝日放送製作 TBS
1962年5月6日~68年3月31日
放送時間は、毎週日曜18:00 - 18:30
大阪ABCホールでの公開放送形式の、時代劇風コメディ
時代は幕末、ヤクザあんかけの時次郎は、喧嘩は弱い
が、ハッタリをきかすのはうまい、大阪生れの浪花っ
子。
ひょんなことから口八丁・手八丁の小坊主珍念と知り合
い二人の道中が始まった。
本編前に、あんかけの時次郎と斬られ役(初期は的場達
雄、後期は原哲男)によるコント。鐘の音と共にお堂か
ら時次郎が現れ、「ええ、あっしゃあ泉州は信太の生ま
れ、あんかけの時次郎。義理には強いが人情にゃ弱い、
男の中の男一匹…」と口上を述べていると、毎回様々な
扮装をした原哲男が現れて一悶着した所で、時次郎が
「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と
締めるこのセリフが大流行に……。
主演 藤田まこと、白木みのる、財津一郎 他、
毎回ゲストが凄かった
※私の父が大好きな番組でした。
「隠密剣士」 TBS 1962年10月7日~65年3月28日
(毎週日曜19時からの30分枠)
全10部(計128話)に渡って放映された宣弘社プロダク
ション製作による連続テレビ時代劇。忍者ブームの火付
け役ともなった。
江戸幕府11代将軍・徳川家斉の腹違いの兄である松平信
千代が秋草新太郎と名乗り、公儀隠密として旅をしなが
ら、世の平和を乱す忍者集団との戦いを繰り広げる作
品。
主演 大瀬康一、牧 冬吉、天津 敏
※我が家の日曜日の夜の夕食時は、「てなもんや~」
「しゃぼん玉~」そしてこの「隠密剣士」と繋がっ
ていた
「ベン・ケーシー」 TBS 1962年5月4日~64年9月25日
アメリカの当時高い評価を得たメディカルドラマ
総合病院の脳神経外科に勤務する青年医師ベン・ケーシ
ーを主人公に、病院内での医者と患者との交流を通じて
医師としての成長を描いている。
オープニングのテーマ曲 (後述エピソード参照) ととも
そして無限」)と、語りながら黒板にチョークで書く場
面は超有名。
最高視聴率50、6%は今でも外国ドラマでトップ
主演と声 ヴィンセント・エドワーズ(滝田裕介)
「コンバット」 TBS 1962年11月7日~67年9月27日
第二次世界大戦末期の1944年初夏、舞台はフランス。
アメリカ陸軍第361歩兵連隊第3大隊K中隊に属する、第
2小隊の隊長ギルバート・ヘンリー少尉と、少尉麾下の
一分隊を率いる隊長チップ・サンダース軍曹を中心とし
た歩兵達の「ヒューマンドラマ」。
テーマ曲もカッコ良いし、モノクロ映像の臨場感も有
り、戦争ドラマとしては名作の上位に入るのでは。
主演と声ヘンリー少尉 リック・ジョンソン(納谷五郎)
サンダース軍曹 ヴィック・モロー(田中信夫)
「シャープさん・フラットさん」
NHK 1962年4月6日~70年3月30日
2人の回答者が「シャープさん」と「フラットさん」に
分かれ、レコードや生演奏で出題される音楽のタイトル
(クラシック、ポピュラー、歌謡曲等)を当てる音楽ク
イズ番組。
「味の素 ホイホイ・ミュージック・スクール」
日本テレビ 1962年7月21日~65年9月25日
架空の音楽学校という設定の下で行われていたオーディ
ション番組。
毎回オーディション参加者たちが同校の新入生として登
場し、ザ・ドリフターズの演奏に合わせて課題曲を歌っ
た。そして、在校生・卒業生・教授に扮したゲスト審査
員たちが彼らを審査した。さらには観客からの投票もあ
った。
当時のスター誕生。
司会 鈴木やすし、木の実ナナ
卒業生 布施 明、三田 明、東山明美 等
「アベック歌合戦」 読売テレビ(日本テレビ系)
1962年10月~68年3月
司会のトニー谷が「あなたのお名前なんてぇの?」と拍
子木を叩きながら自己紹介させるシーンが人気を集め
た。
また、番組冒頭の挨拶である「レディース&ジェントル
マン&お父さん、お母さんおこんばんわ!!」や番組中の
「〜ざんす」などは当時の流行語に。
外国のテレビドラマや、バラエティ、クイズ番組など、現在放送されている番組の元祖のような番組が、登場してきた。
また、相変わらず子供番組以外私には印象に残っていないのですが、刑事ものでもその後の作品に影響を与えた作品が放送されている。
兎に角、日本の高度成長に合わせるように、多種多様な番組が登場しだしたのが、60年代に入り顕著に表れて来だしたことは、確かな事だ。