○7月21日
日本映画ばかり5作品です。何度も観た2作品と、今回初めて観た作品が3作品です。加賀恭一郎シリーズは、やはりいつ観ても納得します。今回初めて観た作品も印象に残る作品でした。
2008年公開の「西の魔女が死んだ」を観た。監督は長崎 俊一。
原作は、1994年に刊行された梨木 香歩の同名小説。(本作が著者のデビュー作)
2001年新潮文庫日本児童文学者協会新人賞、
新見南吉児童文学賞、
第44回小学館文学賞 受賞作品
文部科学省特別選定作品
青少年映画審議会推薦作品、
厚生労働省社会保障審議会推薦作品。
映画館大賞「映画館スタッフが選ぶ、2008年に最もスク
リーンで輝いた映画」第59位。
まいの元におばあちゃんが危篤だと連絡が来る。おばあちゃんの家に向かう車の中でまいは、おばあちゃんと過ごした2年前の1ヶ月間のことを思い出す。
まいは中学校に入学したばかりの頃、学校へ行くことが苦痛になってしまい、しばらくの間、おばあちゃんの所で2人で暮らしていた。母とまいが"西の魔女"と呼ぶイギリス人の祖母は、大自然に囲まれた一軒家で穏やかな生活を送っている。祖母との田舎暮らしは閉ざされたまいの心を少しずつ解きほぐしていく。
そこで、まいは「魔女」になるための修行をすることになる。その修行は、「なんでも自分で決めること」だった。
魔女になるための修業として、規則正しい生活・ジャムを作る・自然と触れ合い、お気に入りの場所を作るなど、概ねは順調だった。しかし、おばあちゃんの知り合いのゲンジさんに、まいは嫌悪感を覚える。
魔女修行から3週間ほどたった朝、おばあちゃんの家の鶏小屋が荒らされ、そこにいた鶏たちはばらばらになっていた。その日の夜、鶏の死に関連して人が死んだらどうなるか、という話題になる。おばあちゃんは魂が身体から離れて自由になる事だとまいに言い、本当にそうなのか、おばあちゃんが死んだ時まいに教えるという約束をする。
ある日、ゲンジさんがまいのお気に入りの場所の境界のところを耕している場面に遭遇してしまう。動揺したまいはおばあちゃんに対してゲンジさんを罵倒し、「死んでしまえばいいのに」とまで言ってしまう。それに対しておばあちゃんはまいの頬を打ち、二人の間に溝ができてしまった。この時の確執が解けることのないまま、まいはおばあちゃんと別れ両親と一緒にT市に住むことになる。
2年後、おばあちゃんが死に、まいたち家族はおばあちゃんの家に行く。結局わだかまりを解消できないままだったことを後悔し続けてきたまい。しかし、以前に約束したおばあちゃんが死んだときの約束の痕跡を見つけ、まいは泣きながら「おばあちゃん、大好き」と呟いた。
主演のまい役は当時14歳の高橋 真悠、おばあちゃんには、往年の名女優シャーリー・マクレーンの娘サチ・パーカー。ママ・りょう、パパ・大森 南朋、ゲンジ・木村 祐一、郵便屋さん・高橋 克実 等々。
主人公のまいが、自らを魔女と呼ぶおばあちゃんと過ごしていた頃を回想する形で物語は進む。
おばあちゃんの包容力に、胸が締め付けられる。しっとりと美しい作品。
まいは傷つきやすい少女として描かれ、現代社会に対しておばあちゃんが暮らす自然にあふれた生活が対照的に描かれる。また同時に一つの重要なテーマとして、人の死というものを含んでいる。
児童文学のベストセラー作品の映画化なのだが、子供たちだけではなく、大人も十分に考えさせられ、そして感動を頂ける作品。
当然だが、おばあちゃんとまいのシーンはほのぼのとしている。怖がられているゲンジさんも本当は良い人で、木村祐一が名演している。
もしおばあちゃん役を日本の女優さんが演じるなら、樹木希林さんかな、とも思いながら観ていました。
「おばあちゃんの住む家」を忠実に再現するべく、清里高原にセットが作られ、そこで撮影が行われたそうで、セットは暫く保存公開されていたらしいです。
久々に、不純なオヤジはもっと頑張れ!と言われたような作品だった。
2015年公開の「この世に俺/僕だけ」を観た。監督は月川 翔。
街の利権をめぐる偽装誘拐事件に巻き込まれてしまった中年サラリーマンと不良高校生の逃避行を描いた作品。
離婚歴あり18歳の子供あり。今は保険会社課長の伊藤博。かつてバンドを組み、パンクな魂と共に生きていた彼の心には、今も“弾丸アームストロング”という曲が鳴り響いているが、現実は上から押しつけられる仕事を淡々とこなす中年サラリーマンのしがない日常が転がっているだけの毎日。
一方、仲間と一緒にカツアゲを続けている不良高校生、黒田甲賀の根底にあるのは、警察官の父・晃司への屈折した想いだったが、それを吐き出す機会はなかなか訪れずにいた。
そんな縁もゆかりもない二人だったが、偶然同じコンビニへと向かっていた。
朝のテレビ番組『星占い』『てんびん座』をきっかけに、伊藤はストレスのせいかコンビニの前に停めてあった車を強奪。その様子を見て甲賀も突き動かされるように、バイクでその車を追いかける。
甲賀は伊藤を捕まえ、持ち主に車を返そうとするが、もみ合う二人に聞こえてきたのは、車の後部座席にいた赤ん坊の泣き声。
伊藤と甲賀は、赤ん坊と車を返すため取引現場に向かうが、そこに現れたのは強面の男たちだった。直感で逃げ出した二人は、やがて赤ん坊がこの街の再開発に反対する政治家・大隈泰三の子供で、彼の立候補を阻もうとする市長の指示でヤクザの浜口英雄が行なった誘拐であることを知る。
思い切って晃司に連絡したものの、警察さえも味方にはなってくれないことを直感した甲賀は、伊藤と共に自力で大隈の許に赤ん坊を届けることを決意する。だが何も知らない世間からは誘拐犯と疑われ、警察に追われる身となってしまった二人。
こうして、赤ん坊を抱えながら伊藤と甲賀の果てしない逃避行が始まった……。
この世であの子を救えるのは俺•僕だけ!
主演の二人は、伊藤役にマキタスポーツ、甲賀役に池松 壮亮。その他、市長・佐野 史郎、大隈議員・野間口 徹、やくざ濱口・デビット伊藤、甲賀の父・羽場 裕一、刑事部長・矢島 健一 等々。
この作品面白い。感動があるとかそういう事では無く、主演の二人のコンビが物凄くハマっている。それに、展開が早いし、善悪がハッキリして、内容が簡単だから入り込める。佐野史郎の悪人市長ピッタリ。最高な事は赤ちゃんが可愛い。そして、何気にマキタスポーツが作中で歌う「弾丸アームストロング」が良い。
細かい事は良いか~。
2020年公開の「生きちゃった」を観た。映画製作の原点回帰をコンセプトにアジアの監督が集結し「B2B(Back to Basics)A Love Supreme」=「原点回帰。至上の愛」の一環として制作された作品。
「舟を編む」「バンクーバーの朝日」の石井 裕也監督のオリジナル脚本・監督作品。R―15指定。
幼なじみの妻・奈津美と5歳の娘・鈴と暮らす山田厚久は、本の配送業で働きながら、平凡だがそれなりの生活をおくっていた。
厚久には幼なじみの武田がいる。高校時代からの親友である武田と起業する事を考え、英語や中国語を学んでいた。
厚久は、自分の本心を伝える事が苦手で、奈津美の前でも口数が多くない。奈津美は、そんな厚久に不満を感じている。
厚久は、そんな奈津美の不満に気付きながらも、何も語らない。奈津美と鈴が眠った後に、厚久は実家にいる兄の透と再開する。
祖父の墓参りの為に、実家に戻っていた厚久は透に「あんなにお世話になったのに、爺ちゃんが生きていた実感が沸かない」と伝える。透は何も言わず、厚久に親指だけを立てて立ち去る。
ある日、体調崩したので会社を早退して帰宅すると、妻が洋介という男性と不倫をしている現場に遭遇する。
あまりにも急な出来事に戸惑いを隠せない厚久は自らの感情に蓋をするしかできなかった。その日を境に厚久と奈津美、武田の関係は歪んでいき、予期せぬ方向へと向かっていく…。
主演の3人は、厚久に仲野 太賀、武田に若林 竜也、奈津美に大島 優子。
その他共演が、毎熊 克哉、北村 有起哉、鶴見 辰吾、嶋田 久作、原 日出子、伊佐山 ひろ子 等々。
テーマは、好きな人にも本音を言えない理由を「日本人だから」というようにしているような。でも、それは違うと思うが……。
BGMがほとんどないのだが、エンドロールに流れる、どこか物悲しい歌。この三人の思い出のような歌「夏の花」は、主演の仲野大賀と若葉竜也で歌っている。なんかこの歌によって最後厚みが出たような。
この作品では、厚久と武田の関係が、友達って良いな~。と思うようになる人と、友達って?と考えてしまう人と、別れるような気がする。
果たしてこの作品は、企画コンセプトに合っていたのだろうか。私の総合点としては、50点くらいの作品か。
第42回ぴあフィルムフェステイバル(PFF)招待作品部門
に出品
第25回プ釜山国際映画祭「アジアの窓」部門への出品
2012年公開の東野 圭吾の人気ミステリー「加賀恭一郎シリーズ」第9作の映画化。「麒麟の翼」を観た。もう何回目になるだろうか。
同シリーズが原作で、2010年に放送された連続ドラマ「新参者」、11年の単発ドラマ「赤い指」に続く作品。そのシリーズでの初映画化。監督は「涙そうそう」「ハナミズキ」の土井 裕泰。
家族のあり方について書いた「赤い指」と人情を描いた「新参者」の双方の要素を取り入れた作品となっている。
作品のテーマは「悲劇からの希望と祈り」。
東京・日本橋の翼のある麒麟像にもたれかかるようにして死んでいた男の捜査に当たる加賀だったが、容疑者の八島が逃亡中に車にはねられ意識不明に。八島の恋人・香織は涙ながらに無実を訴えるが……。
舞台は「新参者」と同じ日本橋。ここには五街道の起点であることから、「ここから羽ばたく」という意味を込め橋の中央に大きな翼を持った麒麟の像が設置されている。表題の「麒麟の翼」とはこの麒麟像を示すもので、物語における重要な意味をあらわしている。
寒い夜のこと。日本橋の欄干にもたれかかる男を巡査が目撃する。男の腹にはナイフが刺さっていた。どうやら男は死にかけた状態でここまで歩いてきて、力つきたようだ。その後、男は病院で死亡してしまう。
加賀と松宮も参画して事件の捜査が始まる。その中、事件直後に若い不審な男が現場から逃走中にトラックにはねられ、昏睡状態に陥っていることが分かった。「彼が人殺しをするはずがない」と否定する恋人。しかし、彼の持ち物からは被害者が持っていた財布と書類鞄が発見される。そして、被害者とのある関係が浮上したことから、警察は不審な男を犯人と断定し裏付け捜査を進めてしまう。
一方、被害者が部長を務めていた会社で「労災隠し」が発覚し、その責任が被害者にあることが公になる。このことで被害者家族は一転して世間・学校からのバッシングにさらされてしまう。
果たして、若い男は犯人なのか。被害者はなぜ瀕死の状態で日本橋まで歩いてきたのか。加賀と松宮はその真相に挑む。
主演の加賀恭一郎は阿部 寛、松宮脩平 が溝端 淳平は変わらずの名コンビ。また、殺されてしまう青柳の中井 貴一が、子供の事で色々と悩む父親として、その姿が優しさの中に重厚感が有り、作品を締めている。
この作品の凄さは、当時の若手で、今はトップに居る、青柳の息子の松坂 桃李、虐める仲間で山崎 賢人、虐められるのが菅田 将暉の3名が同時に出演している。八嶋の恋人役の新垣 結衣も若い。
その他共演者は、田中 麗奈、黒木メイサ、柄本 時生、向井 理、三浦 貴大、鶴見 辰吾、志賀 廣太郎、松重 豊、劇団ひとり、山崎 努 等々。テレビ局が製作に入っているからこそできる豪華キャスティング。
最初は単なる強盗事件の捜査だったが、だんだん展開が進むうちに色々と浮かび上がって来て、ヒューマンの要素がどんどんかぶって来る。東野圭吾ならではの展開が。
更にとにかく凄いのは若手俳優たち、当時23歳の松坂桃李の中学生は難しかったが、悩む高校生はピッタリのような。
また、いじめの事故で意識が戻らないままになっている後輩役の当時18歳の菅田将暉の演技というか表情はさすがの一言しかない。
ラストの麒麟の像の前で待ち合わせをしていて、加賀振り返った時にそこにいる田中麗奈の表情が何とも言えない。
そんな若手たちを阿部寛と中井貴一で包んでいるような感じにもなる。
その後も加賀恭一郎シリーズは続きますが、常に私はチェックしているシリーズです。
2001年公開の「風 花」を観た。原作は、1999年に刊行された成海 章の同名小説。監督は相米 慎二。2001年9月に他界したか相米監督の遺作。
スキャンダルで職を追われた高級官僚と、5年も放ったらかしていた子どもに会いに行く風俗嬢の北海道を舞台にしたロードムービー。
文部省高級官僚の澤木廉司は満開の桜の木の下で目を覚ますが、二日酔いの中、隣で寝ている女が誰かも思い出せない。彼は泥酔してコンビニで万引きをした事が週刊誌ネタになって、自宅謹慎を命じられていた。
店で、酔っ払った勢いで、北海道に帰郷するという女に同行すると約束してしまっていた。父親から故郷の佐賀には戻ってくるなと言われ、また付き合っていた女性・美樹からも別れを告げられ、行くあてのない廉司は、結局約束通り女に同行することにして、酒に酔ったまま空港で女と再会する。
こうして二人は車を借りて北海道を一緒に旅することになった。女はレモンというピンサロ嬢で、幼い一人娘の香織を北海道の母親のもとに残して5年間ぶりに会いに行くところだった。
レモンは結婚していたが、香織が生まれて間もない頃に、独立して事業を興そうとしていた夫が多額の借金を残して交通事故で死んでしまったため、返済のために東京に出てきたのであった。レモンは、寺の住職を務める僧侶と再婚した母親のもとを訪ねるが、母親夫婦に反対されて娘に会うことは叶わなかった。一方、廉司の方は東京の上司からの電話で一方的に解雇を言い渡されてしまう。
北海道で、往き場をなくした男と、娘に会う目的のための女、さぁ二人には、……。
主演の二人には、澤木廉司・浅野 忠信、レモン・小泉 今日子。
その他共演が、寺田 農、小日向 文世、柄本 明、尾美としのり、高橋 長英、鶴見 辰吾、椎名 桔平、麻生 久美子、香山 美子 等々。芸達者な豪華な面々。
しくじった官僚役に浅野忠信はピッタリはまり込んでいる。ピンサロ嬢の小泉は、違和感はったが、他の風俗の方がすっきり来たかもしれない。年齢相応の色気が有りすぎるかも。
雪の北海道の景色が綺麗だ。母娘が再会を果たす場面、廉司が車を行ったり来たりさせるところも愛らしい。
二人ははっきりとした自殺願望は有るのだろうか。
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まぁ細かいところは考えないようにして、小泉今日子を楽しむ映画としては、良いのではないか。