夜間救急体験しました

 

現在医療系の映画の企画で、スポーンサー探しをしている状

況なので、多少の医療の事や、親戚や家族で医療系の仕事をし

ていた人もいて、自分も病人系なので、医療の事は解っている

つもりでしたが、初体験の出来事があり、考えさせられました。

 

先日2つの初体験がありました。

スタジオで撮影の仕事中、現場にめったに電話などをしてこ

ない母親からの電話が来ました。それも20時過ぎ。何事かと

思い電話に出ると、母の震える声で「お姉ちゃんが倒れて……

どうしようもなくて救急車を呼んだ。」電話の奥にサイレンの

音。「とりあえず、お母さんは家で待っていて、すぐ帰るから。」

それから私は、撮影がもうすぐ終わりそうだったので「別現

場の仕事で相談があるようなので。」と、スタッフに話をして、

「お先に失礼します。」と、急ぎ現場を後にし、スタジオの有

る八丁堀からタクシーで東京駅に向かいました。途中、登録し

ていない番号から電話が在りました。気もそぞろに電話に出る

と、救急隊の救命士の方からで、救急車に収容した状況と、現

在の説明を受け、受け入れ先の病院が決まったら、再度連絡を

頂けるという事の電話でした。意識がもうろうとしている中、

姉が私に連絡してほしいと番号を伝えたようです。

時間的に電車を使った方がこのままタクシーで横浜へ向か

うよりは早いと判断し、電車に駆け込みました。

車中で救命士さんから再び電話。搬送先の病院の名前を聞き、

地域では一番大きな病院だったので、何となくホットはしました。

それから自宅に帰り、待っていた母親を連れて病院に向かい

ました。母は、もう入院の準備をしていました。

現場に電話が来て1時間半後くらいに病院に到着しERへ。

処置室に入ると、点滴をしている姉が。私と多少の会話をでき

るまでにはなっていました。ドクターからCT検査をしてから

判断しましょうとの事で、宜しくお願いしますと皆さんにお頼

みして、母とERの廊下のソファーで待つことに。この時点で

22時を回っていた辺りでした。

それからが大変でした。あんなに長い時間が係るとは。

 

ERの廊下では、こんなに救急患者の方が多いのか、まして

や夜なのに。と思うほど診察や治療を待っている人が……。

 

なかなか検査の呼び出しがかからず、ちょっとイライラしだ

した23時過ぎ、またERが大変なことになる状況になりまし

た。緊急手術が必要な“心筋梗塞”の患者さん、その後には“脳

梗塞”の疑いがある患者さんが、立て続けに。足から血を流し

て、父親に抱かれてやってきた小学生くらいの男の子、と、見

るからに重症らしい人達が運び込まれてきました。

処置室のベッドも空きがなくなってしまったのか、点滴が終

了していた姉は、廊下の椅子に座って待つように場所が移動。

その他には、幼稚園児もしくは小学校の低学年くらいの子供

たちが、夜遅いので父親に付き添われながら、もう10人以上

は来院しています。激しい咳をしていたり、目がとろんとなっ

ていたり。廊下のソファーでは、そんな子供たちが寝ています。

この時元気なオジサンは、ソファーを当然子供たちに譲って、

廊下では立っています。

母は疲れてきているのか、でも気丈にはしていますが「お姉

ちゃん入院するの?こんなところで大丈夫?待たされすぎ。」

と、私に聞いてきますので、「病院のトリアージで、大変な患

者さんから治療しているから、順番が遅くなるのは、とりあえ

ず大変ではない、という事だよ。」と、答えます。

母も昔は病院に勤務していたから、病院の事情は分かるはず

なのに。

日付が変わる頃、状況を確認しようと看護士さんに聞きに行

くと、勘違いをされたのか「私たちは病状の事は話せません!」

と怒られてしまいました。病状ではなく、状況を聞きに行った

だけなのに。

日付変わって1時過ぎ、やっとCT検査室に行くように言わ

れたのですが、人手が足りないので、私に車いすで連れて行っ

て欲しいとの事。当然OKなので、母にはER廊下で待ってい

て欲しいと説明し、階が違う検査室へ。そこでまたびっくり。

検査室の廊下にも患者さんのご家族らしき人達が。入院患者の

方にも急変が有ったらしい。

CT検査室は3部屋あったのですが、稼働しているのは1部

屋で、その上、その担当の技師の方は、レントゲンも担当して

いるらしく、お一人で全ての画像検査を受け持っているらしい。

画像検査は、10分ほどで終了し、またERへ。この時点で、

2時少し前。

 

2時半ころに検査結果の説明をやっと受けられるように。そ

の頃は姉も多少元気が戻ってきたようでした。

 

結局今回は「三半規管」の異常による眩暈からの頭痛という

事で、年齢からくることも有るので、また症状が出る事もある

が、当分は大丈夫でしょう。という診断結果。但し、すぐ耳鼻

科の専門病院を受診するように指示を受け、やっとの事でER

を出られる事に。

この時点で3時を回っていました。姉は7時間、私も6時間

くらいは不安な中で、夜間救急を体験。

 

姉は、翌日は元気そうに目覚めたので、耳鼻科に行く事を進

めたが、なんと、翌日は母親の病院予約があり、そちらは私が

行くからと言ったのですが、大丈夫だからという事で、姉は母

親の病院へ付き添いで行きました。私だと心配だったようです。

その後その日は何もなく過ぎました。

 

二日後、私は家でのキャスティング作業が有ったので、自宅

で仕事をしていました。

家族で昼食も食べ、午後からも仕事でPC作業をしていまし

た。2時頃、水分を補給するために台所に行くと、居間に姉の

姿がありません。母に尋ねると「眩暈がするから、お母さんの

ベッドで寝ている」との返事。すぐに母の部屋に行くと、姉が

横になっていました。症状を確認すると、一昨日の時のようだ。

との事。すぐに先日病院のERに電話をして、症状を話すと、

すぐに救急車で病院に来るように、という指示。

この時は私が救急車の手配をし、病院の受け入れも話済みだ

という事で、急ぎ、また先日の病院のERへ。“当分は大丈夫

だと、前回言われたのに。”と思いつつ、今回は昼間なので、

母親には家で待っているように説明。

この日は日曜日。

 

病院に搬送されると、先日の夜よりは救急の患者さんは少な」

いものの、廊下には何人もの方が。

但し、夜間よりドクター数は多いらしく、スムーズに進みま

す。同じCT検査をまたすることになりましたが、今度はスト

レッチャーで看護士さんが連れていきました。

緊急手術が必要な方が無かったのか、処置用のベッドも空い

ていて、帰るまでベッドで横になっていられることが出来ました。

 

検査結果は一昨日と全く同じ。今回は薬が出ました。

この日は4時間くらいで終了。前回より早くERを出る事が出来ました。

 

ここで、色々と思いました。

 

ERの方々の大変さは、本当に実感しました。但し、思うこ

とも有ります。

一番に思うことは、大病院であったとしても、救急医療、特

に夜間の救急を担当する人の少なさ。

医療は、誰でもできる事ではないですが、何とかもっと従事

する人が増えないだろうか。これは、政治や、教育ともからめ、

本当に国民一人一人が考えなければいけない事ではないでし

ょうか。

 

その他、救急でERに行く患者さんや家族は、とても不安一

杯なのですが、その心のケアをしてくれるような存在の方が、

何方もいらっしゃらなかったので、そのようなケア担当の方は、

絶対に必要だと思いました。

日本のER系ドラマは、全く緊張感が感じられず、実際とは

全く違うので、ドランとしてしか考えられず、何も参考になら

ないのですが、外国のER系ドラマは、必ずそのER全体を観

ている人がいて(大概はベテラン看護士さん)どの処置室では

誰が何をしているかとか、家族からの状況質問や不安に対して

も的確に処置をしているシーンが必ずあります。日本にも、そ

の立場の人は絶対に必要だと思いました。

TBSのドラマで、そのような担当する女性が登場するドラ

マが放送されてはいましたが、その役の女優さんが〇〇で役を

降りたので、結局そのような事の展開が出来なくなっているド

ラマも有ります。

 

もう一つは救急車です。実は、私は救急車で搬送された事が

4回あります。全ては救急患者としてでしたので、その時は感

じませんでしたが、今回初めて付き添いで乗車をしてみて思い

ました。

救命士さんから「救急車は物凄く揺れますので、しっかり摑

まっていて下さい。」と言われて出発しました。

本当に物凄く揺れます。患者として乗車する時は、揺れ自体

が自分の具合の悪さと錯覚していましたが、実際揺れます。

これでは、具合の悪さが倍増してしまうのではないかと思う

ほどです。何とか揺れない救急車は出来ないものか。自動車生

産大国の日本の技術なら、可能ではないのでしょうか。

また、救急車は走行に色々と特典があるのに、サイレンを鳴

らして走行している救急車なのに、一般の自動車の譲りの気持

ちが少ないという事です。

譲り方が下手糞な車が多すぎです。

私も、改めて車を走らせている時に、サイレンの音が聞こえ

た場合は、きちんとした形で道を譲ろうと思いました。

 

私は還暦過ぎの癌患者。姉も60代後半。母は90歳なので、

救急車や救急医療は、私の家族としては、今後どんどん身近な

存在となっていくはずです。

 

色々書きましたが、救急医療に携わる方々は大変です。その

大変な仕事をしている方々が、少しでもよりよく仕事に専念で

きるような、そんな世の中になるように、そんな時が早く来れ

ばよいなと思った2日間でした。