日本語とは美しいもので、一つ感情を表すのに十も言葉を選べてしまうことがよくある。もしかしたらそれだけの言葉があるおかげで、私たちは十倍の感情を持っているとさえ言えてしまうかもしれない。


"I love you."をあなたを愛しています、という代わりに、月が綺麗ですね、と表現した人の話があります。
それ自体は日本語の美しさとはまた別のように感じるが、その感性はやっぱり日本語的で美しくて、溜め息が出ます。

こうなるともはや、言わない美しさだ。
あなたを愛しています、の代わりにあなたが必要ですだとか、あなたの側に居たいだとか、「私にとってのあなた」について好きだ、必要だと語るのは誰にだって出来る。しかしこの「月が綺麗ですね」なんて言い回しは、それすら無粋だと言わんばかりに聞く者の心にすーっと溶け入ってくる。
自分の愛情を「愛しています」と、例えそれがどれだけ優しく清らかな感情だとしても、相手に押し付けたりは決してしない。例え聞く者が「愛しています」という言葉を言われてどれだけ幸せだろうが、自分と相手との距離を、自分の言葉だけで縮めようとしない。相手にも委ねているのだ。

最後の「ですね。」に込められた溢れんばかりの優しさと愛おしさが、何一つとして澱みなく、純に相手の心に染み込んでゆき、一言「そうですね。」と返すだけで互いの全てが通じる言葉。




月が綺麗でなくてもいい。休日、二人してベランダで飲む缶ビールとか、相手が好きと言っていたアーティストに自分もハマったりとか、そういうのが良い。いちいち「好きだ」と伝えるのが無粋に思えてしまう時もあるから、そんな時は夜中にコンビニでも行って、アイスでも買って、片方が「美味しいね」って言ったらもう片方も「そうだね」ってひとこと返してあげられればそれで良い。

風が気持ち良いのも、もちろん月が綺麗なのも、二人を繋ぐ大切なきっかけだと思う。