2024年1月1日(月)今年1回目のランです。

 

元旦マラソン

 

 まずは、この度の令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りしますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

 このような書き出しで新年を始めなければいけないことは、痛惜の念に堪えません。

 

 この日の午前は、新年の始まりに相応しい、素晴らしい時間を過ごしました。私は「元旦マラソン」に出走していました。心配されていた天候も何とか持ち、開始前には青空が広がっていました。元旦マラソンには、300人ほどの方が出場しました。今年が素晴らしい1年になることを願いながら、青空の下を走り出します。

 

 

 

 

 元旦マラソンは、ありそドームをスタートし、魚津神社で折り返す3.6kmのコースです。折り返し地点の魚津神社では、一般のお客さんに混ざって初詣を行いました。公式の大会ではないので、タイム計測はありません。また、歩道を走るため、信号では止まる必要があります。そのため、いわゆる「エンジョイラン」の類にはなるのですが、それでも、気持ちを新たに元旦から走ることができる、素晴らしいイベントでした。

 

 先陣を切って風のように走っていく若人たちの背中を見ていると、自然と私のペースも上がりました。途中からはキロ4分台とかなり速めのペースで走っていきます。心拍数がぐんぐんと上がっていきましたが、この日はそれを気持ちよく感じました。充実感をたたえながら、17分53秒でフィニッシュ。新年の始まりに相応しい、素晴らしいランとなりました。このようなイベントを開催していただき、ありがとうございました。

 

 元旦マラソンの後は、スーパー銭湯で汗を流しました。ランの後に浴びる新年一番風呂は格別でした。家族と正月の食事を済ませ、午後からは初売りへ。買い物を終えて家に戻り、後はのんびりと過ごす予定でした。

 

 充実した1日は、夕方に全て暗転しました。

 

地震発生

 

 16時10分、地震発生。私は富山県在住です。最初はごく小さな揺れがありました。昨年から続いている能登の地震でこちらも揺れているのだろうと思いました。久しぶりに揺れたな、いつ以来だろうなどと呑気に考えていたら、その後に突き上げるような強烈な揺れが来ました。これまでに経験したことのないような強い揺れで、ただ事ではないことはすぐに分かりました。しかし、テレビを付け、津波警報が発令されたことを知った時は、すぐには現実を受け入れることができませんでした。

 

 津波警報に呆然とし、立ちすくみましたが、避難を呼びかけるアナウンサーの口調がただならぬものだったので、追い立てられるように家を飛び出しました(私たちに避難の必要性を気付かせる、素晴らしいアナウンスだったと思います)。

 

 車で高台を目指します。すぐに道路は車でいっぱいになり、全く動かなくなりました。見たことのない光景でした。歩道には走って逃げる人の姿もあります。こういう時は走って逃げるべきだったかと後悔しましたが、車を乗り捨てるだけの覚悟が持てず、じりじりと少しずつ前進していく車列に身を委ねるしかありませんでした。幸い、私たちは高台にたどり着き、街が津波に呑まれることもありませんでした。

 

 それからは避難所に行き、津波警報が継続していたため、そこで一夜を過ごしました。津波は到達済みとなっていましたが、東日本大震災の時の映像が頭の中にこびりついており、恐怖は拭いきれませんでした。快適に寝られるような場所はなく、床で毛布にくるまりました。肩と腰がバキバキに痛く、ろくに眠れませんでした。充実の元旦マラソンから、避難所で過ごす夜へ。同じ日の出来事とは思えない、激動の1日でした。

 

 不自由な出来事ではありましたが、能登で被災された方のことを思えば、ほんの些細な不自由でしかありません。甚大な被害を受けられた能登の皆さんには、今はかける言葉も見つかりません。

 

 今もなお、頻繁に余震があり、ここ富山では小さな揺れですが、能登では大きな揺れが続いています。また、被害の全容が徐々に明らかになりつつあり、胸が締め付けられる思いです。1日でも早く、揺れが収まり、平穏な日々が訪れることを願うばかりです。

 

 さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。(『津軽』太宰治)

 

 2024年は初日から大変なことになってしまいました。引用した言葉は、現在の状況にあまり相応しくないと思われる人もいるかもしれません。しかし私は、命さえあればどうとでもなるという気持ちで、気を強く持って前に進んでいきたいと思っています。安全には気を払いながら、可能な限りランを続けていきたいと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。