「神様の声を聞く力」「主の声を聞く力」を私たちは備えているのか?母国日本の現状! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

2024年9月15日英語礼拝・二代王様のみ言より

 皆さん、今は壮大な時です。英雄的な時であり、超自然的な勇気が必要な時なのです。それは、神のみ言を聞くこと、主の声を聞くことからもたらされる。それは私たちが持っている力だからだ。私たちには、アメリカのこの堕落に打ち勝つ力がある。私たちには、この悪魔主義や、政治的悪魔主義に打ち勝つ力がある。私たちには、私たちからではなく、私たちの肉体のためでもない力がある。私たちの意志から来るものでもない。神のみ言から来るのです。神の子であることから来る。神の王国の一部であることから来る。神の全システム、神の聖なる軍勢の一部となることから来るのです。神はエホバ・サバホト(万軍の主)であり、私たちが正義に立ち向かう悪魔に抵抗する彼の軍隊の一部であることです、皆さん。

 

悪魔サタンに打ち勝つ力は、神のみ言から来ると語られています。神のみ言を聞くことのできない者は、神の全システム、神の聖なる軍勢の一部となることが出来ないのです。

 

日本では主の声、お父様の声を聞く者は「たわけ者」だと罵られます。このままで日本は、キリストと共に闘えるのでしょうか。

 

神の声を聞こうとして学ぶ者たちを、「霊的集団」と偏見の目で見る者もいます。今や、キリストを人間メシヤとして崇拝していた時代とは、別次元の戦いに入っているのです。

 

二代王様がこのようにストレートに「主の声を聞く力を持っている」と語られても、そのごとく受け止める人は少ないでしょう。実際に聞くことが出来ない状態なら、それを正当化するしかないのです。

 

そして聞こえるというなら聞こえるで、サタンとの霊的格闘を超えなければならないので簡単なものではないのです。

 

今、その霊的格闘を越えて、私たち霊的最前線で闘う三代王権の同志(兄弟団)達は、キリストを心に立て神の声に心を澄ませているのです。

 

  *****

 

先回の記事にコメントが入りました。記事には次のように書いていました。「実際に聞くことが出来ない状態なら、それを正当化するしかないのです。」そのように書いたように、さっそく正当化しようとするコメントが入りました。ありがたいことですが、おかげでより詳しく「神も声を聞く。主の声を聞く。」とはどのような事なのかを、より詳しく説明できるようになりました。

 

まず、いただいたコメントと、私の返答を掲載します。

 

  ***

 

一般人さんコメント

神の声、主の声は、キリスト教では聖書に聞きます。サンクチュアリでは文亨進師から聞くのではないですか?そうではないから「たわけ者」と言っていると思います。

 

諸星くるとの返答

聞いたことがないので、そう受け止めるしかなくなるのです。

 

一般人さんコメント

諸星くるとさんへ、文亨進師の言われる「神の声主の声を聞く力」というのは、文亨進師の話しを理解できる力のことです。

 

諸星くるとの返答

二代王様のみ言を聞いても、主の声を聞く力が無いと、み言の真意が理解できません。

 

形状的にしか受け止めることが出来ないので、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの真相を受け止めれずにいるのです。

 

日本サンクチュアリ協会では、お父様の聖霊が理解できないでいるので、韓国の原理講論に聖霊と聖神の二つの表現があることを理由に、聖霊は男性格の神様の御霊だけど、聖神はエバの神性であり女性神のことだと受け止めているのです。

 

二代王様のみ言に、主の声を聞くことが出来ないでいるので、このような受け止め方になるのです。

 

また、江利川大陸会長が「真のお父様の聖和は十字架」の削除宣布をされましたが、なぜ削除しなければならないかの理由が分からず、あとで勉強するという状況なのです。

 

良いでしょうか。

 

二代王様のみ言に、主の声を見出す力を、まだ備えていないという事です。

 

主の声を聞く力とは、お父様の聖霊と授受作用できる力の事です。ですから、真のお父様の声が聞こえるわけではなく、聖霊を迎えることによって、神様の意図や意志が自分の自由と責任において判断できるようになるという事なのです。

 

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諸星くるとの返答として書いた次の内容を、もう少し説明します。

 

  ***

 

形状的にしか受け止めることが出来ないので、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの真相を受け止めれずにいるのです。

 

日本サンクチュアリ協会では、お父様の聖霊が理解できないでいるので、韓国の原理講論に聖霊と聖神の二つの表現があることを理由に、聖霊は男性格の神様の御霊だけど、聖神はエバの神性であり女性神のことだと受け止めているのです。

 

  ***

 

日本サンクチュアリ協会日本本部では、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相について理解しようとはしておらず、キリスト教の教義であって実体的三位一体の「天地人真の父母様」として立たれているので必要のないものだと考えられています。

 

このような考え方は、二代王様が「お父様の聖霊」と語られる聖霊の真相を理解できないものにしてしまっています。「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相が理解できないと、二代王様が語られる「王家のシステム」あるいは「神の全システム、神の聖なる軍勢の一部」の意味もつかめなくなるのです。

 

それで、「天地人真の父母様の実体的三位一体」のみを中心的に考えようとすると、真の母の位置に正当性を与える為に、どうしても「エバの神性・女性神」という捉え方を持ち込まないとならなくなるのです。

 

 

日本本部の中村仁史東京教会長のブログ「統一原理マスタークラブ」より、聖霊と聖神について解説した部分のみ引用します。

 

  **ブログ「統一原理マスタークラブ」より抜粋引用**

 

このように、女性神である聖神が降臨するには、地上に120数の国家基準の基台が必要だということになります。

 

 そして、天と地は主体と対象、縦的なものと横的なものとの関係なので、イエス様が「天(陽)において」役事されるとは、聖徒一人ひとりとの縦的な関係を中心として役事されることを意味し、聖神が「地(陰)において」役事されるとは、地上の横的な基台を中心に役事されることを意味します。

 

 したがって、イエス様と同じように聖霊も、心霊基準が高い信徒にはいつでも降臨されますが、聖神の場合は地上に横的な国家的基準(数的には120数)が成立した基台の上に降臨されます。

 

 また、そのとき聖神は霊的重生の役事を行うために降臨されることから、単独で働くことはなく、霊的なイエス様と完全に一体となり、その対象として働きます。

 

 そのため、聖神が働くときには、聖霊も聖神に対して主体の立場で霊的なイエス様と一体となって働かれているのです。

 

  **引用終了**

 

二代王様が語られる「お父様の聖霊」は、韓国語の原理講論に表現されている聖霊も聖神も含むものです。女性神としての御霊の存在を認める考え方は、天の父母様を掲げる韓氏オモニと何ら変わりのない教義で、日本サンクチュアリ協会は運営されているという事になるのです。

 

真の母を始めとする人類は、昼の神様に管理される立場です。つまり、夜の神様が直接的に心に臨在するのではなく、聖霊が臨在することによって、夜の神様が聖霊を通して間接的に管理することになるのです。ですから、この聖霊の様相の捉え方を間違えるという事は、神様との関係性を自ら切ってしまっていることになるのです。

 

男性神と女性神の聖霊聖神と捉えているならば、「お父様の聖霊」に相対することが出来なくなってしまします。

 

日本本部の方々は、この中村教会長の女性神が聖神であるという捉え方を受け入れてしまっているので、「お父様の聖霊」と相対できないままに摂理を展開しようとしているという事です。

 

 

 

「神様の声を聞く力」「主の声を聞く力」とは、お父様の聖霊が心に臨在しキリストを心に立てている状態になることにより、神様の意図や意志、さらに心情が、私の個性を通して自由と責任において受け止め判断できるようになるという事です。私の思考展開や、心情の発動が神様と一致しているので、二代王様のみ言からお父様の真意を読み取ることができるようになるという事です。

 

二代王様のみ言ばかりではなく、摂理にも生活にも神様の意志や意図がどこにあり何を伝えようとしているのかが、自分の意志で判断できるようになるという事です。ですから、自分以外の声となって響いて来るのではなく、私の思考展開の中に神様の意志や意図が現れて来るという事です。

 

そのようになってこそ、「神の全システム、神の聖なる軍勢の一部となる」ことができるのです。

 

 

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